
水泉動く小寒・次候。午下がりの書斎で,カミーユ・サン=サーンスの交響曲第 3 番ハ短調・オルガン付きを鳴らしながら,二十世紀ロシアの詩人・アルセーニイ・タルコフスキイの詩を少し読む。この詩人はかの有名な映画監督アンドレイ・タルコフスキイの父である。子に比べると世界的な知名度は落ちるが — また,日本ではほとんど知られていないが —,衷心の渋い詩でロシアではいまだに愛好家が多い。
『НОТЫ 音譜』という詩を日本語に訳してみた。誤訳も混じっているかも知れない。この詩のこころは「Живи и помни. И запиши. — 生き,そして記憶せよ。そして記録せよ」ということだと思う。人を思いやるとき,なによりもその人の抱く記憶を大切にしよう。その人のなした記録を理解しよう。なんという痛切な真実か。いまの日本人に決定的に欠けているものである。一方でこうも思う。歴史を「反省」するなんてバカバカしくてできやしないが,歴史を凝視せず「忘れる」人があまりに多くないか。
| Арсений Тарковский | アルセーニイ・タルコフスキイ | 
| НОТЫ | 音譜 | 
| Казалось - жизнь проста, как правильный канон, В пяти тонах живешь, играя, Пока тебя еще не начинал Ганон Швырять от края и до края. | 生きることは簡単 規則正しいカノンのように きみは 五つの音に息づき 遊ぶ ハノン**がきみを引摺り倒しはじめるまでは — そんな風にみえた | 
| Не хватит нáдолго мальчишеских сонат, Все это чушь, горох стеклянный, Жизнь говорит не так, сонаты прошумят, Но не забудь «Сицилианы»*. | 子供のようなソナタだけじゃだめだ これはみなたわごと ガラスのピース 人生の声は ソナタの騒ぐようなものじゃない でも バッハの「シチリアーノ」を忘れてはいけない | 
| Как хороша сирень и память хороша! По клавишам бежит досада; Достаточно в росу бросаться не дыша, В такое время нот не надо. | リラの花よし 思い出もよし 鍵盤をいまいましさが駆けてゆく 露に落ちて息をとめるに足るようだ こういうときには 音譜は要らない | 
| А ноты кто-нибудь под самый Новый год По черной крышке разбросает. И может быть, матрос к роялю подойдет, По слуху «яблочко» сыграет. | 新年のまさに前日 誰かが音譜を 黒い蓋のうえに撒き散らす 水夫がピアノに近づいて 暗譜で「りんごの唄」を弾きだすかも知れない | 
| И скажет: «Может быть, все это где-то здесь, Не то в конце, не то в начале, Я мог бы вспомнить все, всю жизнь и праздник весь, Когда б страниц не растеряли...» | そしてこう言う ー「これはみな ここみたいなどこかかも 終わりでもなく 始まりでもない おれは すべてを 人生すべてを 祝い日のまる一日を 思い出せたろうに ページがなくなっちまわなかったのなら...」 | 
| (1935) * Бах (Примеч. А. Тарковского.) | (1935年) ** ハノン: Charles-Louis Hanon (1819-1900) 有名なピアノ教則本の著者 (訳注) | 
  Арсений Тарковский  Стихотворения. 
  Екатеринбург: У-Фактория, 2006, с. 48-49.
サン=サーンス作曲・交響曲第 3 番ハ短調作品 78「オルガン付き」。滔々と流れる弦楽のアダージョが美しい。オルガンという楽器は神の声である。ハ長調の和音ひとつで大オーケストラが黙り込む。まさに Divina Commedia。
私の好きな演奏はシャルル・デュトワがモントリオール交響楽団を指揮したもの。カップリングの交響詩『死の舞踏』,組曲『動物の謝肉祭』という選曲もよく,こちらも名演で,お買い得の CD である。
シャルル・デュトワ(Dir)
モントリオール交響楽団
ピーター・ハーフォード (Organ)
パスカル・ロジェ (Pf)
ユニバーサル ミュージック クラシック (2009-05-20)
モントリオール交響楽団
ピーター・ハーフォード (Organ)
パスカル・ロジェ (Pf)
ユニバーサル ミュージック クラシック (2009-05-20)
