一昨日のお午少し前,子分が真っ青な顔をして私の席に近づいて来る。「どうした,XX さんのシステムで今ごろ西暦二千年問題でも出たか?」と冗談を飛ばしたら,違った。「昨日の晩,Kさんが亡くなったそうなんです」。「え? なんで?」。Kの顔をその前日,火曜日に見たばかりだった。絶句。
今夜,Kのお通夜に行って来た。お父上はすでに他界していたので,喪主はKの兄。Kは帰宅したあと転倒して頭を強く打って亡くなったという。逆縁に打ち拉がれた老母堂の様子は,見るに忍びなかった。家族葬だったこともあり,喪主にお悔やみを述べ焼香をすませて,私は早々に葬儀場をあとにした。
Kは私より一年先輩だったが,高卒入社だったので歳は私より六歳下であった。弊社のソフトウェア研究所で TP モニタ(トランザクション・プロセッシング・モニタ,要するにオンライン・トランザクション管理ソフトウェア)のコア部分をプログラミングする業務に従事したのち,その製品化にともなってわれわれシステムエンジニア部門に配属替えとなった。プログラマという人たちはエンドユーザのことをそれほど親身に考えず,書かれた仕様なりあるべき論なりに固執して,ユーザの目的を見失うタイプがままにいるものだが,彼はシステムエンジニアとして顧客本位に設計を進めることの出来る技術者だった。前提条件からいま採りうる手段と課題とを論理的に導くことの出来る頭のよい人間だった。その一方で,皮肉屋で,頑迷でもあり,私といっしょに仕事をしたときは — 私は目的さえ満足できそうなら手を抜くタイプなので — 私たちはぶつかり合うことが多かった。
私たちが入社したころ,システムエンジニアは強烈な仕事量とストレスからツンツン尖った人間が多かった。グループ内でなにかにつけ口論し合っていた。隣りのグループの主任とその部下である担当者は,お互い向き合った席に座っていて相手が眼の前にいるにもかかわらず,「お前/あんたとは直接口をききたくねぇ」といって内線電話を使って口喧嘩していた。私とKも同じグループだった十四,五年くらい前のころは,多分に漏れずかような雰囲気のなかでソリが合わず,しょっちゅう対立していた。私は主任で,Kは私より入社が早いのにヒラで,私と彼とは上司と部下の関係だったから,いよいよ火花が散る。はたからは荒んだ関係に見えたはずである。それでも仕事のあといっしょに呑み歩いて,ああだ,こうだ,と話をしていたのだから,不思議である。
そのうち彼も私も歳を取り,属するグループも変り,いつの間にやら角が取れて円くなった。気がつくと彼は私に敬語を使うようになっていた。職場でも,若いシステムエンジニアが口論している様をみることはなくなった。皆,大人しい。つまんね。通夜からの帰りの電車のなかでそういうことを考えていたら,突然,呑んだ席で言い争うKの,私を睨む座った眼がまざまざと思い出されて,涙が止まらなくなった。