ミハイル・クズミン Михаил А. Кузмин (1872-1936) を読んでいる。このロシアの詩人をご存知だろうか。文学的アンテナの著しく低い日本では,— 世俗的政府がアメリカの言いなりであるとすれば,文化人たちは海外文学については英仏の盲目的追従者ばかりであるからして — おそらく,ほとんど知られていない。クズミンは,世紀末ロシアの詩の第二の全盛時代,いわゆる銀の時代に活躍し,文学史的には,象徴派のアンチテーゼとして登場したアクメイズムの草創期詩人という位置づけにある。十九世紀末ロシアではニーチェが極めて大きな思想的影響力をもち,藝術におけるディオニュソス的激情の表現意欲の高まりにともなって,性的欲望についても大胆に描かれた。クズミンもこうした時代精神にあって,かなり露骨なエロティック詩を書いている。もちろん,そうでない詩も一級品である。たとえば,Александрийские песни (1918) アレクサンドリアの歌。
Занавешенные картинки (1920) はクズミンのエロティック詩集のひとつである。ヴラディーミル・ミラシェフスキイ Владимир А. Милашевский (1893-1976) の描いたエロティックな挿画の付いた,307 部限定の私家版である。アムステルダム刊と銘打たれているが,これは文学的偽装であって,実際は 1920 年ペトログラードで刊行された。二十世紀初頭のアムステルダムという都市は猥褻な雰囲気に満ちていたと思うのは,私だけではないようである。
以下に,Занавешенные картинки の私の愚訳を,ロシア語原文—日本語訳の対訳形式で,披露しようと思う。とりあえずは第一篇『アテナイス』だけ。ミラシェフスキイの手になる挿画もたいへん興味深いものだが,男根が露骨に描画されていたりと,ここでは差し障りがあるので,— 妻に見せてやったら「じぇじぇじぇー,ええええー,やーだー」と言われた — これは掲載しない(詩人文庫版には 1920 年版のファクシミリ印影が掲載されており,挿画をスキャンしてここにも載せたくてしようがないのだが,何の得にもならぬことで人格を疑われたくないので,やめにする)。本翻訳は,Кузмин М. «Стихотворения» (из серии «Новая библиотека поэта») / Вступ. ст., сост., подгот. текста и примечания Н. А. Богомолова. СПб.: Академический проект, 1996. (М. クズミン『詩集』,詩人文庫,Н. А. ボゴモロフ編・解説,サンクト・ペテルブルク: アカデミー・プロジェクト,1996年刊) によっている。
Занавешенные картинки - 覆はれた繪畫。古風な訳文・仮名遣いについては,私のここだけの詩人気取りとして,お赦しいただきたい。
ミハイル・クズミン/『覆はれた繪畫』1920年版・扉
трехсот семи экземпляров нумерованных I-VII и 1-300
Экз. № I
307 部刷られた
通番 I
И так бровей залом высок
над глазом, что посажен наис-
косок.
Задев за пуговицу пальчик,
недооткрыв любви магнит,
пред ней зарозмаринил мальчик
и спит.
Острятся перламутром ушки,
плывут полого плечи вниз,
о волоски вокруг игрушки
взвились.
Покров румяно-перепочат,
подернут влагою слегка,
чего не кончил сон, - докончит
рука.
Его игрушку тронь-ка, тронь-ка, -
и наливаться и дрожать,
ее рукой сожми тихонько
и гладь!
Ах, наяву игра и взвизги,
соперницы и взрослый «он», -
здесь - теплоты молочной брызги
и сон.
Но будь искусным пчеловодом
(забота ведь одна и та ж)
и губы - хочешь, свежим медом
помажь.
Мы нежности откроем школу,
широкий заведем диван,
где все - полулюбовь и полу-
обман.
1918.
蛾眉 廣間の如く 眼窩のうへ
高うして 轉た斜めに
据ゑらる
指を釦にひつ掛け弄び
愛の磁力を半ばは顯す
女の前 少年はローズマリーを振り掛けたまま
眠りをり
耳 螺鈿のやうに尖り
肩 わづかに斜め下方に泳ぐ
髮にまつはり 慰みものは
舞ひ上がれり
覆ひは紅の脣に口づけられ
薄く水氣を帶びて
そを終はらせたのは眠りではない 仕上げを爲すは
手
かの慰みもの 觸れられ そつとそつと
— と 滿ちて震へる
女 その手もて 靜靜と締めつけよ
撫でよ
あゝ 現なり この戯れ 高き聲
敵女の 成人となれる「彼」
こゝに 迸る乳白色の温もり
そして 眠り
だが 巧なる養蜂家たれ
(心の碎きやうは同じならずや)
さすれば 脣は瑞瑞しき蜜にて
潤はん
われら 優柔の門派を開かん
廣きソファーを備へん
かしこにては あらゆるもの 半ばは愛にして半ばは
いつはり
1918.