十倍返しだ

『半沢直樹』観てましたよね。十倍返しだ! これまで鳴かず飛ばずだったTBSドラマなのに,これは空前のヒット作となり,最終回の視聴率が,なんと,アノ『家政婦のミタ』を越えて40ウンパーセントだったそうである。これでスポンサーにも十倍返しできたことだろう。

まず第一に,ビジネス熱血ものはサラリーマン一般ピープルが感情移入しやすい。そもそも,その他のテレビドラマといえば「好きなのに好きと素直に言えない」風の草食動物的美男美女たちによるアホ恋愛ドラマばかりで,もう飽き飽きさせられていたところだ。また第二に,ストーリーにおいて滝沢馬琴も真っ青の勧善懲悪が徹底していて,観る者にとって「倫理的」悩みがまったく必要とされない。善悪のタイプが「道徳的」に判然としなければ一般ピープルの共感はまず得られないのだ。第三に,目の血走り口角泡飛ばす歌舞伎顔負けの大見得シーンの連続は,最近珍しいくらいにむちゃくちゃ血圧が高い。そこにこそドラマとしての見応えがあった。こういうところが『半沢直樹』のウケた理由だと思う。私自身はというと,高校の先輩の両雄・釣瓶さん・赤井さんのほか,あのエロさイヤらしさで大好きな壇密さんが出演していたのも楽しみであった(レベル低い)。

このドラマの視聴者は,思うに,主人公の熱い正義感に引き込まれる「感染型」か,こんなのあるわけねぇだろとちゃちゃを入れながら楽しむ「他人事型」か,いずれかではなかろうか。私は妻と二人で毎回楽しみに観ていたが,二人とも後者の「他人事型」で,半ば笑いながら俳優の大見得切りに魅せられていた。

銀行という組織は多かれ少なかれ皆ああだと思って観ていた人なんているのだろうか。「大和田常務の口座を調べたらマイナスだった」というくだりがあったが,そんな個人資産の機密事項を銀行員が「暴く」なんてあるはずがなく,どこまでウソに満ちているのか,というのが「常識ある社会人」としての見方だと思う。『半沢直樹』にはこの手のウソがいたるところで見え隠れしているのが,リアリティを追及している風の作品としてはお笑いの要素だった。「出向を命じられること」がすなわち人生の終わりみたいな描き方も,凝り固まった価値観の現れでしかなく,「世の中舐めてんのか」と思わせられた。そういう突っ込みどころ満載の作りが,「他人事型」の観客には却って面白かったのではないか。

政治家は私腹を肥やすことをいつも考えているものだ,会社の重役は金儲けばかり考えいつも情婦を囲っているものだ,大企業のエリート社員はプライドばかり高く出世のことしか考えずいつも他人の足を引っ張っている,官僚は組織の利権追及と自己保身にばかり汲々として国民のことはいつだって二の次だ,医者は患者のためといいながら無駄な治療を行って弱者から金を巻き上げようとしている,かくして,頭のよい奴らはロクでもない輩ばかりだ — こういうことを本気で思っている人がいるものである。そういう人は,「頭のよい奴ら」の狡猾・悪徳に対する「十倍返し」物語が大好きだ。そう,「感染型」の人のことを私は言っているのである。これは,思うに,「頭のよい奴ら」へのただのやっかみであって,ドラマ的な型に嵌ったものの見方に毒されているから,としか私には思われない。世の中のほとんどは大衆,つまり非「頭のよい奴ら」であって,テレビドラマの制作者もそっちのほうの歓心を買わないと食って行かれないのである。

でも,実際は,政治家や会社社長など,上記のような地位も名誉もある「頭のよい奴ら」は,概ね真面目で,勤勉で,公正で,遵法的で,公共の利益を考えている人のほうが多い。ロクでもない利己主義者は,教育をきちんと受けておらず社会的位置の低いところでアクセクしている人間のほうが,「圧倒的に」多い。勉強はできるが自己中心的なワルイ奴,勉強が嫌いで上の学校に行けなかったが心の優しいイイ奴 — こういう,天は二物を与えずの図式の好きな人がホント多いのだが,現実はまったく違う。自分のまわりをよく視てみるがよい。出世している人間はそれ相応のきちんとした理由に依っているものである。「常識ある社会人」ならわかるはずである。少なくとも私は,奸計でのし上がった人間をこの目で見たことがない。実際の銀行員のほとんどは真面目で勤勉で合理的で良心的で公平なものであると思う次第である。人間として魅力的かどうかは別問題ではあるのだけど。

『半沢直樹』。続編があるということを確信させる終わり方だった。また近いうちに,「こんなことあるわけねぇだろ」の十倍どんでん返しでもって楽しませてくれそうである。