ルパン三世 First TV

『ルパン三世』第一期テレビ放映版の DVD を観た。

『ルパン三世』。1971-1972 年,私が小学校四年生くらいのころである。まだわが家は白黒テレビだったように思う。夜の十時くらいに放映される点でも異常なアニメだった。「もう寝なさい」と親にうるさく言われながら観ていたものである。当時,アニメ(そのころはテレビマンガと称していたようにも思う)といえば「子供向け」と決っていて,『天才バカボン』やら,『忍者サスケ』やら,『ひみつのアッコちゃん』やら,スポコンものやら,お笑いもの・ヒーローもの・魔法ファンタジーもの・修身ものと類型化されていたように思われる。そんななか,この『ルパン三世』はアンチ・ヒーロー(悪と善,笑いと真面目の境界が不分明な主人公)のアクションものアニメとして,極めて斬新だった。とくに,「ボインな」(古っ!)峰不二子のお色気シーンが衝撃的だった。峰不二子が石川五ェ門の斬鉄剣で着衣を切られ真っ裸にされるシーンなんか,「うわ,すごいなぁ!」とときめいたものである。もちろん,私の父もいっしょになって観ていた。

またもや「恋人」峰不二子の裏切りに遇い窮地に陥れられたとき,次元大介に「そんな女にいつまで現を抜かすのか」と詰られたルパンが言う—「女の裏切りってのはな,次元,そいつのアクセサリーみたいなもんさ」。いま改めて聞いても,どきりとする台詞である。不実で浮気な性格は,子供にとっても,大人にとっても,人間的欠陥=悪である。それをいい女の属性・魅力=善だと言い切るルパンは,子供心にも,善悪をスマートに価値転換させることのできる,恐ろしく魅力的な主人公のタイプになった。なんでも二分法でものごとの価値を極め付け,いい人か,悪い人か,という単純な括りで人間を振り分けないと安心できないのが,子供の特徴(じつは大人にもそういう単純なのが多いのだが)。だからこそ,善悪をダイナミックかつユーモラスに反転して見せてくれるルパンは,まだ小学生だった私にとっても,異次元の,新しい「かっこよさ」を備えたヒーローとなったのである。スケベ=悪というのも,ルパンにかかると別の次元に連れていかれたわけである。

『ルパン三世』第 2 話「魔術師と呼ばれた男」を観たあとで,赤江瀑『風葬歌の調べ』— 恋人の浮気に怒りその腹いせに別の女とセックスしてしまう男が出て来る小説 — を読んで,「女が浮気をするのはふしだらだからと極め付けるなんて,なんとも男が小せえなー,こういうのを男尊女卑的男っていうんだよなー」と赤江作品の主人公の造形に笑ってしまった。それに比べ,ルパンはかっこいい!

『ルパン三世』は次第に人気が上昇し,いつしか放映時間帯もゴールデンタイムに昇格したわけだが,それにともないエロシーンがなくなり,同時に人間感情表現も紋切型・類型的になっていったように思う。本質的に子供じみた PTA 的世間ではやはり,スケベ=悪であるから。『カリオストロの城』などジブリが手がけるようになった『ルパン三世』は,ラブロマンスなどもろもろの要素の質が向上したけれども,第一期テレビ版にあった “猥雑さで魅惑するピカレスク” とでもいうべき魅力をすでに失っていたように思う。私にとって,この第一期だけが真の『ルパン三世』である。

 

ところで,『ルパン三世』第一期はチャーリー・コーセイのヴォーカルによるテーマ音楽も出色だった。