会社の帰り,虎ノ門,新橋界隈をぶらぶら。入梅したのに雨なく,陰なるばかり。アスファルトの道路に沿って菖蒲のきれいな一群があった。そして,いたるところに紫陽花。一年でいちばん鬱陶しい季節だが,あはれにも可憐な花が静かな雨音のなかで咲くころでもある。
いま,岩波『鏡花全集』巻十一で『草迷宮』を読んでいる。雨や川,靄などの水の表象と白面細腰の美女の霊とが清らかに結びついた伝奇ロマンは,鏡花の真骨頂である。『草迷宮』に唆されて一首。茜さす陽滲み籠る霞川澱む迷宮女人漂ふ。
昨夜,NHK E テレで久しぶりにクラシック音楽番組を視聴した。今年四月の N 響定期公演から,ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第 1 番とラフマニノフの交響曲第 2 番の演奏。ヴァイオリン独奏はヴィクトリア・ムローヴァ。ピーター・ウンジャン指揮,管弦楽はもちろん N 響である。
ショスタコーヴィチのヴァイオリン協奏曲第 1 番 イ短調 作品 77 は,この数ヶ月,携帯電話 LISMO に入れた曲のなかで,いちばん多く再生したお気に入りである。I. Nocturne: Moderato; II. Scherzo: Allegro; III. Passacaglia: Andante - Cadenza; IV. Burlesque: Allegro con brio の,概ね緩—急—緩—急の,四楽章からなる大曲である。Nocturne と Passacaglia のヴァイオリン独奏の旋律の孤独なリリシズムは,思うに,ショスタコーヴィチが書いたパッセージのなかで最も美しいものである。とくに第三楽章でのイングリッシュホルンとの掛け合いの上に天翔る独奏ヴァイオリンの悲痛な音調を聴くと,思わず涙がこみ上げて来る。これらの抒情的楽章に続く激しく急速なテンポのスケルツォとブルレスクは,攻撃的で,諧謔的で,内面的・抒情的孤高との対比において外的世界の狂躁とも聞こえる。
この曲が書かれた 1948 年はショスタコーヴィチがジダーノフ批判にさらされた年である。表向きには体制賛美の曲を書く一方で,ヴァイオリン協奏曲第 1 番や弦楽四重奏曲第 4 番において諧謔的・狂躁的様相に紛らせて内面の孤独を表出したといえる。NHK の番組でのインタビューでムローヴァは,顔で笑いながら心で泣いているソヴィエトの藝術家の複雑な精神的相貌について,亡命者としてそれを表現する使命や自負について,語っていた。
ムローヴァのショスタコーヴィチ演奏はストイックで,抒情に流されない。とくに第二,第四の高速な楽章は,切れがあってよかった。録音 CD の演奏で私のいちばん愛聴するのは,ドミトリ・シトコヴェツキーのヴァイオリン独奏,アンドリュー・デイヴィスの指揮,BBC 交響楽団の管弦楽によるものである。リリシズムと狂躁の対立が,全楽章を通して,ダイナミックにしてかつシャープな正確さをもって表出されている。第一,第三楽章の艶と延びのあるヴァイオリンの表情が堪らない。泣かせてくれる名演なんである。
Andrew Davis (Dir)
BBC Symphony Orchestra
Virgin Classics (2005-03-01)
Andre Previn (Dir)
Royal Philharmonic Orchestra
Polygram Records (1989-05-23)