アラン・ロブ=グリエの『快楽の館』(Alain Robbe-Grillet - “La Maison de Rendez-vous ”, 1965)は,全編,語り手「ぼく」の幻覚のような物語である。舞台は第二次大戦後間もない英領・香港 — 不潔で,混沌とした,麻薬取引や人身売買などが横行する,アジアと西欧が同居する植民地。まさにその象徴のような欧亜混淆の暗黒トポス,ヴィラ・ブルー(青の館)で,麻薬密売の老人が不審死する。そこは,有閑の金持ち白人客が集まり,サディスティックないかがわしいショーが催され,欧亜混血,中国人,日本人のさまざまの娼婦が出入りする「快楽の館」である。
物語は,事件を巡って自動小銃の銃身のぎらりと光る軍事警察まで動員し,犯罪小説めいた筋書きを展開する。ところが,ひとつひとつの場面の語りにおいて事実の掴みどころが定かでなく,まるで一切が「ぼく」の淫靡な夢のような,確かなものは何もないという感じがあって,頼りなく,また美しい。叙述の漂うような不安定さは,たとえば,つぎのようなくだりによく現れている。
ラルフ卿は,あいかわらずなにか嘲笑するような,いずれにしろ皮肉な薄笑いを浮かべ,— まるで愚弄しているみたいに — 身を固くしてその若い女にお辞儀をし,それから彼女に期待していることについて手短な指示を与える。それまでかたくなに床に伏せたままにしていた大きな目をふたたびあげ,とつぜん彼女はそのすべすべした顔を男のほうに向けるが,その目は途方もなく大きく見開かれ,同意しているような,反抗しているような,服従しているような眼差しであり,しかもうつろで,無表情な眼差しである。
「同意しているような,反抗しているような,服従しているような眼差しであり,しかもうつろで,無表情な眼差し」— まったく相反する形容を加えてゆくことで,結局何もわからない,けれども相反する方向に引っ張られて行く緊張感だけが,気味の悪い存在感だけがあとに残る。何を「期待」して何を「指示」しているのか,何故「薄笑い」をしているのか,何となくしか想像できない。この姿はかくかくしかじかで,あのようにも見えるし,このようにも見える — これが,思うに,作品の幻覚的書法の特徴である。
アジアの猥雑な背景のなかで奇矯なポーズを作っている女の,強烈な欲情を惹き起こすエロティックなモノクローム写真群を,一枚,一枚と繰っては鑑賞するのだが,その途中に,老人の屍体や,キザな若い金持ちや,マシンガンを肩から提げた警官(*)やらの写真が,時折,意味もなく混じっていて不穏な物語性を仄かに想像させる。『快楽の館』はそんな肌触りのある美しい小説である。地に着いた物語は何もない。そうとしか言いようがない。