永井荷風『問はずがたり』・Undercurrent・Cello Suiten

もう暦の上では晩春というのに少し寒い一日だった。ここのところ咳止まず,絶不調で,ちょっと堪える冷気。今夜は妻の仕事の都合でひとり外食。黒胡麻担々麺と麻婆豆腐丼というコクのある辛い料理で体を暖めた。

帰宅し,書斎でレコードに針を落とし,岩波『荷風全集』第十巻を読む。この巻には昭和十七年から二十三年にかけての,つまり荷風最晩年の小説が収められている。掌篇が多い。百頁を越える中篇は『問はずがたり』のみである。この作品は,構成において上下に分かれており,上が昭和十九年十二月,下が昭和二十年十一月の脱稿となっている。作品の時間軸も終局において終戦直後の執筆時期と一致する,虚構に基づく同時代の報告といってもよい。「僕」すなわち画家・太田の「問はずがたり」という形式で物語が進行する一人称体小説である。

「僕」は隣家の姉・満枝と同棲し,その死後,妹の辰子と内縁関係になる。辰子は男親が誰かも知れぬ娘・雪江を連れていた。やがて辰子も病死し,「僕」は松子を女中として雇い入れ,雪江,松子との三人の生活をはじめる。あるとき「僕」は障子に穴を空けて,雪江と松子とのあられもない同性愛欲図を覗き見してしまう。その後「僕」は松子と関係し,空襲の夜,娘として育てていた雪江とも情を通じてしまう。『問はずがたり』の人間模様は,ま,売れない放蕩画家と奔放な女たちとの,かような懲りない色事物語である。言いたいことを口にすると手が後ろに回る自由のない時代,食べる物もなく,体を温める燃料もなく,空からは爆弾が降って来ていつ死ぬとも判らない。こういう悪夢のような現実にあって,労働も,思索もなす気力がなくても,人間はセックスだけは倦むことなくできる,ってか?

男女の情事において勝手放題という印象が拭えないけれども,戦時中という抑圧された時代背景にあってみれば,無為徒食・有閑選民的画家による途方もなく自由気儘な性的頽廃・放縦は,一種独特のニヒリスティックな,無抵抗の反抗にも見えてしまう。思うに,ここまで個人主義的でことさらに放蕩無頼な性愛図は,千篇一律の軍国的田舎者たち(均一指向というドン百姓的田舎者根性は,いま現在においても日本の国民性だ)への嘲笑に他ならない。

作品の面白さは,しかしながら,こうした淫蕩・自堕落・駘蕩の人間模様だけでない。戦時中の空襲に恐々とする物資窮乏の生活や,東京と疎開先の田舎の風俗,「僕」の時代への絶望といった,同時代的緯糸と,自然描写,花鳥風月の,人事の変転とは対照的な気品ある古典的経糸とが織りなす複雑な織物の上に,頽廃的人間模様が縫い込まれているところにこそある。ドギツイ淫らな風俗画がこのインテリジェントな綾・生地の上に朧に霞むようで,戦争という悪夢的現実のなかで見る,若かりしころの茫漠とした淫夢のような,なにかしら哀しく懐かしい情調を醸し出していて,妙なる織物の手触りがあるのである。

荷風とともに聴いたのは,ビル・エヴァンスのピアノとジム・ホールのギターによるジャズの名盤『Undercurrent』。このレコードは,学生のころ,私と同じアパートの別室に住んでいた,同じ露文科の学生・Nの思い出と結びついている。私は夜中にNの部屋に押し掛け,彼と酒を呑みながら,拾って来た白黒テレビを叩いたり向きを動かしつつ(というのも,オンボロテレビにしてかつ粗悪な室内アンテナで電波の入りが悪かったから),プロレスやボクシングの中継を見たものである。美術部に所属していたNは抽象画をもっぱらとしていたが,バイト先の居酒屋の親父に依頼されて店の壁に丹頂鶴をモチーフにした素晴らしい具象画を描いたり,ひとり白装束で田植えの動作を繰返して大学からススキノまで歩くパフォーマンスをしたりと,奇矯で面白い男だった。レールモントフの『現代の英雄』をテーマに卒業論文を書いた。ロシア語はあまりできなかった。Nはビル・エヴァンスが好きだった。『Undercurrent』のLPを掛けながら画架に対していたものだった。

『Undercurrent』。スタンダードなナンバー My Funny Valentine が聞いたこともない別の曲のような,奔放でスリルのある二重奏に仕上がっている。Romain には静かで淡白なリリシズムがある。Nにビル・エヴァンスを教えられるまで,こんな粋な音楽があるとは知らなかった。1959 年という古い録音のジャズは,デジタル・リマスターのクリアな音響の CD なんぞではなく,やっぱり,音が暴れる粋なアナログレコードで聴きたいものである。

『Undercurrent』,Nの思い出と来ると,次はバッハの無伴奏チェロ組曲。Nにビル・エヴァンスの盤を借り,聴かせてもらったお返しに,私はピエール・フルニエのチェロ演奏によるこの曲の ARCHIV 名盤を聴かせてやった。私は愁いを帯びた第 2 番ニ短調が好みだったのに対し,Nは,音域の広くちょっとヒステリックに聞こえる明るい第 6 番ニ長調を好んだ。性格の違いだろう。

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私は,昔からあまり友人がいなかったが,学生のころに,文学やら,音楽やら,絵画やらをネタにして飲み明かした数少ない友人について思い出すと,やはり懐かしい幸福な気分になる。これとは無関係だけど,いまのように,音楽が鳴っている横に猫が居るのも悪くない。

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Undercurrent
Bill Evans (Piano)
Jim Hall (Guitar)
Blue Note Records (2002-06-13)
Bach: 6 Suiten fur Violoncello solo
Pierre Fournier (Vlc)
Archiv Produktion (1997-01-28)