岩波『荷風全集』旧版も第九巻まで来た。昭和十年ころから戦中にかけて,荷風がほぼ断筆したころの小説の数々。
荷風はこの時期,玉ノ井の銘酒屋(私娼家)に入り浸り,自宅に娼婦とその情夫とを呼び寄せ目の前で二人に性交させ(当世風にいえばストリップの白黒ショー),かぶりつきでそれに見入り,はたまた,娼婦のエロ写真を撮影して歩いた。そんな老年の回春情のまにまに,『濹東綺譚』で最後の華を咲かせている。第九巻は,この荷風代表作以外にも,『ひかげの花』,『おもかげ』など,苦界に生きる男女の生活描写の生き生きとした,もの哀れな,しみじみとした作品を収録している。
『ひかげの花』は,待合で非合法に売春する女・お千代とそのヒモ・重吉の話である。お千代は,警察のガサ入れを間一髪で免れたものの,検挙された売春婦のなかに,十八のときに産んだ娘・たみ子と思しき名を新聞で見つける。その後,お千代と重吉はたみ子を探し出して引き取り,売春で貯め込んだ金で連込茶屋(いまでいうラブホみたいなもの)を経営しながら,三人でしばらくは仲良く暮らして行こうとするらしいところで作品は終わる。
『ひかげの...』という題名からわかるように,日陰に生きる者たちのしんみり人情コメディーである。主人公の境遇・家族観がいまの常識からすればまったく理解を越えているわけなのに,ひとつひとつの所作・男女の感情の動きや,女が体を売りに出る覚悟の重いのか軽いのか不分明の消息などは,何故かしら充分に納得できる。そこがなんとももの哀れなんである。荷風の風俗小説は,『おかめ笹』(全集第八巻)に見えるようなことさらの滑稽・諧謔的調子が特徴になっている一方で,『ひかげの花』のような生活感の苦く乾いた憂愁の味もある。
夜,荷風を読みながら,景気付けにクイーンの『JAZZ』に針を落とした。1978 年の elektra アナログ盤。1974 年の『A Night at the Opera』に心を奪われて以来,クイーンを夢中で聴いたのもこの盤くらいまでである。以降はつまらなくなってしまった。『JAZZ』は,なぜか歌詞カードが付いておらず,五十人くらいのヌードの女たちが自転車レースのスタートラインで品を造っているポスターをレコードカバーに貼付けてあった。高校生のころは,誰もが購入するようなレコードにこういう猥雑なエロ・ポスターが付いて来るのを見るにつけ,イギリス,アメリカって面白い国だなと思わずにおれなかった。I like JAZZ な国。ちなみに,ここでの JAZZ は無意味な戯れごとのような意味らしい。