昨日土曜,連休の初日,六本木ヒルズ・森アーツセンターギャラリーで開催中の「ミュシャ展 — パリの夢 モラヴィアの祈り」を観て来た。娘にせがまれて一緒に行ったわけだが,大学生にもなってボーイフレンドとではなく父親と美術展に行く,ってのもどうかね。午過ぎ,娘には武蔵小杉から東横線・東京メトロ日比谷線に乗り継がせて,私は電車賃の節約と運動のため新橋から歩いて六本木に向った。娘は家を出て 40 分ほどで六本木ヒルズのクモのオブジェのあたりに到着したが,私は愛宕,神谷町,麻布,飯倉と坂の多い道を 3, 4 キロ散歩したので,娘よりも 30 分ほど遅れて美術館・展望台への入り口に着いた。
アルフォンス・ミュシャは世紀末ベル・エポックのパリのアールヌーボーの寵児だった。日本にもファンがたくさんいる。オーナメンタリズム,シンプルな線,パステルカラーの色調が特長の,優美なリトグラフポスターこそが,彼の絶大なる人気の源である。『ジスモンダ』等のサラ・ベルナール関連作品群は,誰もが一度は目にして心を奪われた記憶があると思う。
しかしながら,ミュシャが花のパリのラテン系・フランス人ではなくスラヴ系チェコ人であったことを知る人は,そう多くはないのではないだろうか。チェコ語では Mucha は「ムーハ」と読む(ロシア語に勝手に読み替えると「蠅」である)。ミュシャ展の副題「パリの夢 モラヴィアの祈り」に明瞭に現れているとおり,今回の回顧展では,優美なアールヌーボー(パリの夢)のみならず,ミュシャのスラヴの血が滾る後期の油彩など(モラヴィアの祈り)にも焦点が当てられ,彼の藝術の全貌を知るには極めてバランスのとれたものになっていた。後期の大作『スラヴ叙事詩』については,残念ながら実物のタブローではなくそのための習作が展示されていた。けれども,第一次大戦の悲惨な現実への凝視と,祖国チェコ独立・スラヴから発する世界平和への希求とが現れた彼の後期の絵画を,間近に目にした。優美なグラフィックデザイナーだけに留まらないミュシャの,スラヴの魂の奥深さを知ることが出来た。西欧世紀末の新しい美のスタイルは東方より生まれ出でたり。音楽・舞踊においてもストラヴィンスキーとロシア・バレエ団とは 20 世紀初頭のアヴァンギャルドだった。ドビュッシーにもロシア音楽や日本の浮世絵の美学の影響が認められた。
個人的に好きなミュシャ作品は,人気絶頂のころの装飾パネル画『四季』(1896),モラヴィア民族衣裳を着た少女と聖母を描いた『百合の聖母』(1905) ,歴史画の大作『スラヴ叙事詩』(下の写真はそのうちの「スラヴ讃歌」。展覧会の展示にはないので悪しからず)。『四季』,『百合の聖母』のほか,彼の代表的なリトグラフや,『演劇藝術のアレゴリー』,『ビザンティン風の頭部』,『四藝術』,『月と星』などをこの目でしかと観られて,充実した展覧会だった。
『四季』
『百合の聖母』(左)・『スラヴ讃歌』(『スラヴ叙事詩』より)(右)
新橋から六本木まで歩く途中,建設中の虎ノ門ヒルズの側を通った。いま,外堀通り・虎ノ門特許庁前から JT ビル,虎ノ門病院前の小径を経て新橋四丁目第一京浜にかけて,環状二号線の拡張再開発事業工事が進行中で,虎ノ門ヒルズは完成するとその大きな通りの真上に高さ 255 メートルで聳えるビルとなる。このビルの足下を環状二号線がぶち抜く構造になるらしい。立体道路というのだそうだ。いつも会社帰りに歩いている新橋・虎ノ門のちょっとごみごみした飲食店街の風景も,もう二年もすればガラリと変るのだろう。
愛宕神社から神谷町に抜け,麻布・六本木の小高い丘を通って,六本木通りに出た。付近にロシア,サウジアラビア,スウェーデン,オランダなどの大使館があり,外国人がたくさん徘徊する界隈だからか,麻布・六本木の高台あたりには,お洒落で個性的な洋風レストランがたくさんある。蔦を這わせたしもた屋に目が留り,携帯デジカメに収めた。
六本木に来るのは,昨年の,やはり六本木ヒルズで開催された國芳展以来である。二十年くらい昔は,仕事でよく来たものだった。地下鉄の駅を出て,六本木交差点からすぐのところ,いまは東京ミッドタウンとなっている華やかな超一等地に,そのころはなんと自衛隊の駐屯地があったのである。私はマルボウ(ボウは暴力団の暴ではなく防のほう)の情報検索システムの性能設計・チューニング作業に携わり,この駐屯地のマシン室でけっこう辛い日々を送った。厳しい身元信用調査を受けた上で,入場,電子計算機室への出入りが認められた。国家機密情報に絡むので(?)このへんでやめ。当時の話をしてやったら,娘は面白そうに聞いていた。
ミュシャ展を観た帰り,日がとっぷりと暮れて,愛宕神社に参拝。この神社,日比谷通りから入る参道の一の鳥居から二の鳥居に続く長い階段がたいへんな急勾配になっていて — 右の写真では暗くてわからないが —,昇り降りにただならぬ恐怖を覚えてしまう。二の鳥居から下方を眺めると,高所恐怖症の人は足がすくむはずである。私は手すりにしがみついて暗い階段を恐る恐る降りた。二の鳥居のところで私のうしろにいた外国人の二人連れは,どうやらこの階段を降りるのを躊躇い,NHK 放送博物館のほうからお社を出たようである。東京のド真ん中にこのような珍しい神社があるんである。