TPP 交渉参加表明・ストラヴィンスキー

安倍首相が TPP 交渉参加を正式に表明した。本来ならこれは早くても夏の参議院選のあとにしたかったんだろうが,安全保障上のお土産も持たず一方的に「同盟強化」をお願いしに旦那である米国を訪問するなんて愚行をしたおかげで,じゃあってんで経済上のお土産として TPP 交渉参加を約束させられちまったものだから,この始末である。日米両国首脳レベルの約束だからしようがない,ということだろう。こうして日本国政府は重大事案を既成事実でなし崩しにする。対米従属第一の安倍さんとしては,選挙公約もクソもなく,当然の成り行きである。

政府は TPP がわが国の GDP を押し上げると推計している(マユにツバ)。財界も安倍さんの決断を歓迎している。これに対し,農業や医療などのこれまで手厚く「保護」されてきた業界団体は, TPP 交渉参加表明に対し「裏切り」とまで口にして,怒りをあらわにしている。けれども,TPP に参画しなければ,国家として環太平洋諸国のなかで孤立し,経済ブロックの外に追いやられ,従って安全保障上も蚊帳の外に立たされ,戦前の ABCD 包囲網に似た事態になって,それこそ墓穴を掘る。そもそも,交渉すら拒否するなんて,幕末の尊王攘夷運動と同じように見えてしまう。幕末の開国のようにいずれは引き込まれてしまうのだから,まだ国力のあるうちにさっさと交渉のテーブルに着いて日本のエゴを主張すればよいのである。世界情勢の波に結局は呑込まれる。そのとき,すでに決ってしまったルールに従わさせられるとすれば,これこそ売国的無作為というものである。

TPP は日本の農業を壊滅させるって? 現下競争力のない産業は競争力が強化できなければ落ちて行く — それは世の中の流れとして当たり前のことではなかろうか。その摂理に晒されているわれわれのような一般国民からすれば,「聖域」もクソもないのだ。国策として保護すべきところは,智慧を絞って,その競争力を高める施策に税金を使ってもらいたい。それができなければ外国産に蹴散らされるのは仕方がない。GATT ウルグアイ・ラウンドへのいい加減な(カネをやるだけの)対応のツケが,いまごろ回って来るわけである。旨い日本の米はいよいよ旨く安くなり,まずい米は現在価格の二割以下の外国産米にとって代わられる。私はそれを歓迎する。ウチのようなビンボーは,普段は安い米を食べ,たまーに旨い米のありがたさを享受できればよい。外国産の農産物はアブナイって? ならば「安全神話」に守られた日本の農産物が売れなくなる心配はないではないか。残念ながら,外国産農作物のほうが安く,旨く(米は別として),ほぼ安全である(だって外国人はそれを食っているわけだから)のが現実なのだ。

産業・経済的観点以外にも TPP の悪影響が喧伝されている。米国の属国になってもよいのかって? 日本はもうすでに久しく米国の実質的属国(飽きられた情婦のような)である。外国人がたくさん入って来て「純血」が失われるって? そもそも日本は単一民族国家ではないし,ジジイ,ババア,ずっとスマホ画面を見ている気味悪い若者ばかりより,日本の生産従事者比率を上げてくれる若く元気な就労外国人とその家族がウヨウヨしているほうがまだマシ。外国人はたくさん日本に入ってくればよい。日本国籍を大量にホイホイ与えたってよい。外国人の犯罪が増えるって? 交通事故死者年間1万人,自殺者年間3万人,家庭内暴力被害年間4万件,児童虐待報告年間6万件,ストーカー被害年間2万件のほうが,よっぽど,遥かに深刻である。学校・職場でのイジメと来ればその何倍もある。日本はもうすでに異常な国なのである。外国人によって日本の伝統が失われるって? 「伝統文化」が壊れるなら壊れればよい。だって,日本は明治維新,昭和軍国主義によって江戸文化をはじめ旧来の伝統を自分の手で壊して来たではないか。伝統破壊はいまに始まった話ではない。もうすでに大方は失われている。それでも意志・努力をもって伝統を維持して来た人々はこれからも維持し続けるだろうし,一方で新しい何かが出て来るのなら,それでよいのである。こうして「失い続けられる」ところこそが日本人・日本文化の強みではないか。私はそう信じている。

私は安倍さんを断固支持する。今夏の参議院選でも自民が勝つことを祈る(私が自民党に投票するかどうかはこれとはまったく無関係なんですけど)。

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今日から三日間,妻は会社の慰安旅行。三時ごろ川崎駅周辺まで歩き,独りでステーキを食い,また歩いて帰って来た。約 10 キロの散歩。

帰宅して,春のうららかな気分のうちに,ストラヴィンスキーを聴く。ピエール・ブーレーズの指揮,アンサンブル・アンテルコンタンポランの演奏による室内楽集,アンタル・ドラティ指揮デトロイト交響楽団の演奏によるバレエ音楽『火の鳥』,そして小澤征爾指揮サイトウ・キネン・オーケストラの演奏による『ミューズを導くアポロ』。

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ストラヴィンスキーについて,『春の祭典』などの代表作からカーニバル的狂躁に充ちた暴力的音響を印象づけられている人は多いかも知れない。確かにストラヴィンスキーの作風は,十九世紀の「ロマンティック」からかけ離れたところに位置づけられ,心に訴えるというよりも肉に沁み入って来るようなところがある。でも,荒々しい狂躁は彼の音楽のむしろ特殊な部分だと私は思う。『ヴィオラ・ソロのためのエレジー』のような衷心のモノローグもあれば,『墓碑銘』のようなオブジェ風ミニアチュアの妙味もあり,『十五器楽奏者のための八つのミニアチュール』,『火の鳥』のようなお伽の国の楽しさもあり,『ミューズを導くアポロ』のような古代的優雅・気品もある。この多様さこそが,思うに,二十世紀ロシア・ルネッサンスの体現たるストラヴィンスキーの魅力である。

私のお気に入りの CD のアマゾンリンクを以下に設置しておく。

Boulez Conducts Stravinsky
Pierre Boulez (Dir)
Chicago Symphony Orchestra
Cleveland Orchestra
Berliner Symphoniker
Ensemble Intercontemporain
Deutsche Grammophon Imports (2012-04-10)
ストラヴィンスキー:火の鳥
アンタル・ドラティ (Dir)
デトロイト交響楽団
ユニバーサル ミュージック クラシック (2000-12-20)
シェーンベルク:浄夜
小澤征爾 (Dir)
サイトウ・キネン・オーケストラ
マーキュリー・ミュージックエンタテインメント (1995-07-26)

『ヴィオラ・ソロのためのエレジー』(1944)のビデオクリップをシェアしておく。タチヤーナ・マスレンコの素朴な演奏。中世の修道者の心のモノローグといった味わいがある。この曲は上記アマゾンリンクではピエール・ブーレーズの「Boulez Conducts Stravinsky」に収録されていて,その盤での演奏者はジェラール・コセである。