今日は娘の高校の卒業式。行かない,と伝えていたのだが,入っていた仕事の予定が顧客都合でキャンセルになり,急遽出席することに。少々二日酔いに悩みながら,川崎市宿河原にある学校に出向いた。たいへん暖かかった一方で,曇り空の風が烈しい日だった。式自体はしかるべく執り行われた。校長先生や来賓の祝辞を聞いていると,確かに子供たちはこの三年で見違えるまでになったと思う。それに比べてこのオヤジはどうか。いかんなあ。
式が済んだあと,校内を少し散歩。もうおそらく二度と来ないだろうと。さすが川崎の旧い名門公立高校だけあって,二階建ての古風な校舎の間に,なかなか立派な — 二宮金次郎像ではなく,ギリシア彫刻の似合いそうな — 中庭が二つある。だけど,手入れの予算がないようで,いつ見ても荒れたままなんである。そこに立つ二つの時計はやっぱり 1 時 7 分,10 時 20 分で止まったままだった。時の止まった,枯れて凄しい,旧い学園。お,なんかちょっと風情があるな。恩田陸の小説にでも出て来そうな。卒業生でもない俺が感傷に浸ってどうする?
娘がそろそろ教室から出て来るころかと思い,体育館側に行ってみると,娘の友人のNさんが私を認めて,黙礼をよこす。彼女はW大に合格したと娘から聞いていた。そのお祝いを述べがてら「うちのチンピラ娘どこかな?」と訊いてみるかとも思ったが,彼女は別の友人といっしょにどこかへ向う途中のようだったので,やめにした。娘に会う必要はない。私も黙礼を返すだけにした。携帯電話で「帰る」と娘に伝え,校門を出た。仕事場の妻が式の様子についてメールで問い合わせて来た。一句でけたとも — とんかつの暖簾出づれば春の風。昼飯にとんかつ食ってやがんのか。春の風,より春嵐では?
帰宅して,芭蕉の『野ざらし紀行』を読み,レコードを聴く。陰にして暖というこの日の天候ゆえではないが,陰気でエキセントリックな現代曲と,春らしい長閑な風情のある古楽に針を落とす。
一枚はピエール・ブーレーズの初期の作品『弦楽四重奏のための本 Livre pour Quatuor』(1949)のレコード。パレナン弦楽四重奏団の演奏による仏 ERATO 輸入盤。この曲はセリーの新時代の楽音素材構成に基づく,気難しく陰気な,バリバリの現代音楽である。この作品を書いていた初期のブーレーズは — 指揮者としても大成功を収めブルックナーやマーラーのシンフォニーまでをも演奏する現在の彼など誰も想像できなかったほど —,先鋭で,攻撃的な,アンチ・ロマン主義の作曲家だった。「ロマンティック」,音楽における「感情」などという概念と,それに従う作曲家たちとをクソミソにコキ下ろし,のべつまくなしに「怒り」を発散していた。『弦楽四重奏のための本』は「怒り」とは関係がないのだけれども,音楽のコンポジションに書物の概念を導き入れる企み自体が挑発的に思われ,ロマン主義を徹底的に否定する,理知的で,明晰な思考「のみ」に基づく,前衛的な音響に充ちている。いつもこうじゃ殺伐として疲れるわけだが,たまには刺激的でよい。セリー云々の理屈について,こちらにはまったく聞き取る能力がないにせよ。この盤は,私の知る限り,本作品の 6 断片すべてを演奏した唯一の録音である。CD では入手できないと思う。ブーレーズは後 60 年代に最初の 2 断片を自ら弦楽オーケストラ用に編曲していて,こちらは CD でも,音楽 DVD でも聴くことができる。ブーレーズがウィーン・フィルを指揮した,ザルツブルク音楽祭での素晴らしい演奏・映像 DVD がグラモフォンから発売されているので,そのリンクを以下に設置しておく。
ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団
ウィーン国立歌劇場合唱団
ユニバーサル ミュージック クラシック (2003-11-01)
いま一枚は,16-17 世紀・英国のヴィオール曲集 Music for a Viol。J. Jenkins,Chr. Simpson,Th. Ford,M. Locke というあまり耳慣れない作曲家たちの,ヴィオール(ヴァイオル)のための室内楽を集めたもの。ヘンリー・パーセルの十二のファンタジアほどの質に達しているとは思われないが,草木萌え動くこの時候に相応しい,閑雅に富む,曲の数々。いい盤なんである。演奏は,ヴィーラント,シギスヴァルトのクイケン兄弟のヴィオラ・ダ・ガンバ,バロックヴァイオリン,ロバート・コーネンのチェンバロ。ベルギーの ACCENT レーベルからの一枚である。 ACCENT は渋く芳醇な味わいのある古楽コレクションを誇り,マイナーな音楽であってもどれもこれも間違いのない演奏・録音なので,若いころは,金もないのに,レコード屋で目に留るとついつい買ってしまうのだった。この盤は CD でも入手できるようである。
Wieland Kuijken (Vla da Gamba)
Robert Kohnen (Cem)
Accent Plus (2011-05-10)