ここ数日でソメイヨシノは満開。残念ながら,このお休みは風邪のため家でおとなしくしており,天気もこのところ肌寒い雨もよいの曇り日が続いて,お花見の気分ではなかった。雨の粛々とした寒気のなか,近所の廃工場は桜花爛漫。蕭然とした佇まい。佳なり。
出勤途中,安倍総理のパロディー・ポスターを発見。「議席を取り戻す,手口がある。米国式不正選挙」と書かれていた。先の衆院選で自民党は「日本を取り戻す。」とのコピーとともに安倍さんの真面目腐った大きな顔写真を載せたポスターをバラまいたわけだけど,こいつはそのパロディーである。思わず笑ってしまった。誰の仕業か。
去年 12 月のドタバタ衆院選では自民党が「圧勝」した。目下,一票の格差について違憲判決が全国各地の裁判所で出されて選挙制度そのものが疑問視されているところではあるが,この「圧勝」そのものは民意に他ならないとしかいいようがない。いわんや汚い「手口」で自民が票を獲得したわけではないと思う。でもって,パロディ・ポスターの風刺には穿ちが感じられない。
でも,いまさらながら考えてみれば,この自民「圧勝」の選挙結果は国民が自民党を支持したゆえではまったくない,というのも確かなのである。こういうのを「不正」というのか。選挙直後に讀賣新聞の伝えたところによれば「比例選(定数180)では,自民党の得票率が27・62%で,大敗した前回2009年衆院選の26・73%とほぼ同じだった」わけで,昔からの自民ヨイショの人たちが昔ながらに自民に投票したに過ぎず,民主党が大きく得票率を下げ,維新の会がおこぼれに与っただけの話である。投票率は 59.3% という戦後最低ラインだった。つまり,民主が自滅し,第三極で票が割れ,投票しなかった人がワンサカいたがために自民党が「圧勝」した。
自民党が政権を奪い返した云々よりも,日本国民が政治不信から投票行動を起こさず結果的に「不作為」に走ったことこそが,この選挙の最大の汚点だと思う。何かを積極的にやって失敗するのは理解できるが,成り行き任せで何もしない「不作為」で失敗するのは最低の行動様式である。このために日本国がさらに曲がって行くのだとしたら,もうお笑いとしか言いようがない。TPP にせよ,憲法改正にせよ,国民がこれじゃな。成り行き任せ,ってなもんや。
安倍さんには,ドシドシ思う通り,好きなように,やってもらいたい。選挙の大勢を決めたのは国民の「不作為」であって,安倍さんの政治に対して文句を言えるガラではなさそうだからだ。それが「民意」なのである。
P.S.
インターネット・ニュースのコメントだか,ツイッターだかで,「オレはいまの政治がバカバカしいので選挙に行かなかった」といいながらその一方で野田首相の「売国奴ぶり」を非難する書き込みを読んだことがある。こういうのこそ「愚か」というのであって,私は「政治がバカバカしいのではなく,無作為のクセに文句ばかり垂れているアンタみたいなお坊ちゃんこそがバカなんだ」と吹き出してしまった。ある政治家が気に入らないなら,その政治家と敵対する政治家を投票という行動によって支援するのがスジなのだ。だから日本は民主国家といえるのである。