啓蟄・Le Martyre de Saint Sébastien

啓蟄の節気。蟄虫(すごもりのむし)戸を啓く初候となり,文字通り生命が冬ごもりの地中から目覚めるという,暖かい日となった。金曜日,出勤する途中,いつもの調子でコートを羽織って来たのが愚かしく思われる,そんな陽気であった。

夜,帰宅して,テレビでワールド・ベースボール・クラシック日本対台湾の試合を観戦。日本がしぶとく粘って逆転勝利。それにしても今回の日本代表は,ベストメンバーとは言い難い。投手陣はともかく,打線にまったく迫力がない。大会前は商業的理由の騒動に塗れ,また一方では日本人大リーガーの招集辞退ブームに晒され,国際大会というには気合いの入れようとして生半可の感が否めない。おまけに,宿敵・韓国がなんと一次リーグで敗退するという,張り合いのない大会になってしまった。決勝トーナメントで日本が韓国をコテンパンに叩きのめすところが見たかったのに(もちろん返り討ちに遇う確率も相当に高いわけだが)。それでも,国際試合は応援に自然と熱が入って楽しい。女子サッカー・アルガルベ杯では,なでしこが苦戦。悔しい。こちらはテレビで観られないのだろうか。

そして今日の土曜日,書斎の窓を開け放ち,荷風の『断腸亭日乗』を少し読む。本当に少しずつ。昭和十三年十月廿六日に次の記事 —「午睡より覺むれば日は既に斜なり。夜淺草公園森永に飰し,區役所橫裏の喫茶店ロスアンゼルスといふに入りて店内備付の蓄音機にてドビッシイの歌劇聖セバスチアンの殉敎を聽く」(『荷風全集』巻二十二,1972 年,岩波書店,321-2 頁)。おお,そうだ,これこれ。風にのって聞こえて来る JR 横須賀線の機関車の騒音に対抗するように,私もドビュッシー作曲『聖セバスティアンの殉教』を大きな音で再生することにした。

昭和十三年ころの浅草の喫茶店では,客のリクエストに応じて,ドビュッシー作品のなかではマイナーな部類に属するこういう曲のレコードを掛けたのだ,というのが興味深い。『Le Martyre de Saint Sébastien 聖セバスティアンの殉教』は,イタリアの頽廃・耽美の詩人ガブリエーレ・ダヌンツィオとドビュッシーが合作したオペラである。ただし,歌劇としては,ダヌンツィオの冗長なテクストが上演に四,五時間をも要してしまう上に,女優が半裸で聖人・セバスティアンを演じるという冒瀆的内容ゆえにカトリック教会から鑑賞禁止が発せられた。そういう事情からか,現在もっぱら行われているのは,「Fragments Symphoniques 交響的断章」という交響詩風の演奏会形式に改められたバージョンである。SP 蓄音機時代の荷風が耳を傾けたのも — 荷風自身は「歌劇」としるしているのだが —,おそらく交響的断章だったに違いない。

というわけで,本日の一枚は Le Martyre de Saint Sébastien, Fragments Symphoniques。Charles Dutoit 指揮の Orchestre symphonique de Montréal による演奏,英 DECCA 輸入盤。同じ録音を収録したもので,いまも入手しやすい盤をあげておきます。『海』,『遊戯』,『牧神の午後への前奏曲』とのカップリング。デュトワとモントリオール響による例によって精妙な演奏である。私の若いころは,ドビュッシーの演奏ではクリュイタンスの右に出るものはない,なんて言われていたが,名演というのは時代,個人によってまったく違う。私にとってドビュッシーとラヴェルの管弦楽演奏の決定盤は,いまだにデュトワとモントリオール響である。

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