明日 3.11 は大震災から 2 年の日。テレビ局は競って特番を組んでいる。3.11 は,太平洋戦争を「あの戦争」というように,「あの」を付加され語り継がれるべきカイロスである。「記憶することができる」日本人(と,わざわざ括弧書きにするのは,忘れっぽいのが日本人の特徴だからだ)は皆,それぞれの 3.11 の物語をもっているはずである。
しかしその前に。今日 3.10 は東京大空襲の日。我が国の歴史的悲惨という点で,ヒロシマ,ナガサキの次くらいのインパクトがある。これで,東京は十万人以上の民間人死者を出し,江戸の文化遺産をすべて失った。自然災害なんかより人間による災禍のほうがはるかに質が悪い。それにしても,日本人って忘れっぽい国民だと感心する。
本日の一枚。Olivier Messiaen - Quatuor pour la Fin du Temps オリヴィエ・メシアン作曲『世の終わりのための四重奏曲』。ドイツ軍に捕えられた作曲家が 1941 年に俘虜収容所のなかでこれを作曲し,初演した。テーマはヨハネ黙示録の第十章である。新約の文語訳(仮名・漢字の使い分けに統一がない文語訳文は,何故かしら,意味深い)の,そのくだりは次のとおり。
我また一人の强き御使の,雲を著て天より降るを見たり。その頭の上に虹あり,その顏は日の如く,その足は火の柱のごとし。その手には展きたる小き卷物をもち,右の足を海の上におき,左の足を地の上におき,獅子の吼ゆる如く大聲に呼はれり,呼はりたるとき七つの雷霆おのおの聲を出せり。七つの雷霆の語りし時,われ書き記さんとせしに,天より聲ありて『七つの雷霆の語りしことは封じて書き記すな』といふを聞けり。かくて我が見しところの海と地とに跨り立てる御使は,天にむかひて右の手を擧げ,天および其の中に在るもの,地および其の中にあるもの,海および其の中にある物を造り給ひし,世々限りなく生きたまふ者を指し,誓ひて言ふ『この後,時は延ぶることなし。第七の御使の吹かんとするラツパの聲の出づる時に至りて,神の僕なる預言者たちに示し給ひし如く,その奧義は成就せらるべし』
その後,ドイツも,日本も,焼け野原になった。メシアンはこの曲についてこう語っている。「これらすべては,主題の圧倒的な壮大さに比べれば,つまらない努力で,こどもの口ごもりのようなものである!」。滅びの記憶・啓示に対するこの謙虚さ。Luben Yordanoff のヴァイオリン,Albert Tétard のチェロ,Claude Desurmont のクラリネット,Daniel Barenboim のピアノによる演奏,1979 年,西独 Deutsche Grammophon 輸入盤。
このアナログレコードは,作曲者メシアン自身が録音に立ち会い,演奏者と意見交換しながら成った名演のひとつである。現在も CD で入手が可能である。
Albert Tétard (Vlc),
Claude Desurmont (Cl)
Daniel Barenboim (Pf)
Deutsche Grammophon (1988-06-13)
もうひとつ,私の所有するお気に入りの CD もあげておく。この曲のために結成されたともいうべきアンサンブル・タッシによるシャープな演奏である。アイダ・カヴァフィアンのヴァイオリンには惚れ惚れとしてしまう。
上記・ヨハネ黙示録の文語訳引用は,私の手元にある日本聖書協会『舊新約聖書 ― 文語訳』1991 年版による。ヨハネ黙示録について教えてくれる本で,興味深く読んだものをあげておく。