仕事から帰って芭蕉を少し読み,レコードを聴く。
芭蕉の『野ざらし紀行』,伊勢のくだりに,不在の月の存在感の厳かな,凄い句がある。
暮れて外宮に詣ではべりけるに,一ノ華表の蔭ほの暗く,御燈処処に見えて,また上もなき峰の松風,身にしむばかり深き心を起こして,みそか月なし千歳の杉を抱く嵐
神山の嵐気が悠久の杉林を満たす,月のない,外宮・一ノ鳥居の暗闇。灯籠が茫と明滅している。まさに神韻。「月なし」という言葉が却っていよいよ月を心に呼び覚ます。ここで「嵐」とは,暴風のことではなく,山中のむっとするような気を謂う。
これに続いて,芭蕉は,己を西行に見立てつつ,芋を洗う女の句「芋洗う女西行ならば歌よまむ」を詠み,さらに引続き,この句の背景にある文学的パラレル — 西行と歌のやりとりをしたのは芋洗の女ではなく遊女(江口の君)だった — に触発されてか,蝶という名の元遊女だった茶屋女・芭蕉ファンから乞われて優美な挨拶句「蘭の香や蝶の翅に薫物す」を与えている。「蝶の翅」にことつけて女の袖に句を書き記したということになっている(尾形仂によれば,これはフィクションらしい)。宗教的雰囲気の厳粛な句の直後に,仄かな女艶を放つ句を付けるとは。そういう変幻こそが俳諧なんだろう。
今日のレコードはウェーベルンの歌曲集。Dorothy Dorow のソプラノでアナログ LP,CD を一枚ずつ。LP は A. Webern - Sämtliche Werke für Sopran und Instrumente 独 koch schwann 輸入盤。Reinbert de Leeuw 指揮,Schönberg Ensemble によるアンサンブルがソプラノを伴奏している。シュテファン・ゲオルゲ詩による『軽やかな小舟にて逃れよ』作品 2 の,合唱だけによるアカペラ版と室内楽伴奏版との両方を収録した,珍しい盤である。CD は Webern - Lieder,Rudolf Jansen のピアノ伴奏による独 ETCETERA 輸入盤。
Fünf Lieder aus "Der siebente Ring" von Stefan George, op. 3 シュテファン・ゲオルゲの『第七の輪』による五つの歌曲・作品 3 が好きである。『第七の輪』は神話的少年愛の詩である。「生来素朴な信仰心をもっていたウェーベルンが『第七の輪』の冒瀆的・異端的テーマとどのような結びつきを有したのか」などと疑問を呈する批評文(日本人の)を読んだことがある。詩が麗しく,音楽が意味深い陰翳に富んだ佳品であるとき,どうしてこんな無意味なことにこだわるのか。背徳的内容の小説を好んで読む真面目で立派な教師だっているし,そのどこにも問題はない。それが信じられん,みたいなことをいうのは子供じみている。
Im Morgentaun trittst du hervor den Kirschenflor mit mir zu schaun, Duft einzuziehn des Rasenbeetes. |
朝の露を踏みわけて あなたは姿をあらわす, 桜の花のさかりを いっしょに見ようとて, 芝もえる花壇の香りを いっしょに吸おうとて。 |
書斎にあるアナログ盤の録音は,アマゾンで探してみると,CD でも出ていることがわかった。プレミアが付きはじめているようだけど。Reinbert de Leeuw と Schönberg Ensemble の演奏によるシェーンベルク,ウェーベルンの録音レコードはわがお気に入りなんだけど,残念ながらことごとく入手が難しくなってしまった。
Schönberg Ensemble,
Niederländischer Kammerchor,
Reinbert de Leeuw (Dirigent).
Koch Schwann, Germany (1994-04-20)
Dorothy Dorow が Rudolf Jansen と組んだウェーベルン CD は,まだ入手が可能のようだ。