ふざけんな・尹伊桑室内楽集

池袋の R 大学に通う息子が,昨日,フランス哲学に関するレポート提出の期限に — 彼の言うところによれば「一分の差で」— 間に合わず,杓子定規の教務課(大学の教務課ってところは私学であっても公務員体質である)に受け取りを拒絶され,しょんぼりして帰宅した。「余計なところを三千字削ったら一万二千字以上の条件に足りなくなった」だの,訊いてもいないことを朝から私にブツブツ漏らすものだから,私は「この野郎,いまから落第の言訳をしていやがる」と面白からず思っていた。案の定この体たらく。ところが,件のレポートの単位が取れないと卒業も危ぶまれるらしい。

私は頭に来た。内容が不満だからといってレポートを出さずに時間切れアウトで諦めるなんて「敵前逃亡」と同じである。書いたものを出せばよいものを。レポートなんて,内容云々より期限内に出すことが大事なのだ。そうしておけば教授との関係であとから中味を差し替えることもできるが,期限を越えると内容を評定する者以外(教務課)が絡んで来て問題が拗れる。

私の親心は,息子が仮にパチンコで持金を全部浪費しようが,仮にバイトとテニスに現を抜かしまるで勉強しなかろうが,仮に風俗で女を買おうが,まったく傷付かない。だけど,こういう人生を左右する大事な局面において,「出すか出さないか」が急所のところで「内容」について逡巡し失敗する,諦める,言訳する — 息子にそんな頭の悪いかつヤワな態度を見せつけられるのは,素行不良以上に許し難い。

最近はバカ娘をガミガミ怒鳴ることが多いのだが,昨夜はバカ息子に噛み付いた。てめぇ,ふざけんな,一年を棒に振る上に卒業証書の代金をさらに百ウン十万余計に払わさせようってか! 書いたレポートを受け取ってもらうまで先生の研究室に毎日朝から通って土下座でも何でもしろ,バカヤロー!

今日,息子は教授のところに行ってレポートを受理してもらったようである。土下座したかは知りません。

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本日の一枚。韓国生まれの偉大なる現代音楽作曲家・尹伊桑 Yun Isang (1917-1995) の室内楽曲集。とくに,弦楽四重奏曲第五番,Pezzo Fantasioso(幻想的小品)は,厳しいソノリティで心身が引き締まる思いのするいい曲なんである。演奏は,なんと,北朝鮮のピョンヤン・ユン・イサン・アンサンブル。北朝鮮にも前衛的現代音楽の一流演奏家がいるんだ(そんなの当たり前じゃないか)というのが,十年くらい前にこのレコードを見付けて聴いたときの驚きだった(全体主義国家,社会主義国家では「前衛藝術」は,通常,反体制の指標であるゆえに)。ブックレットに演奏者たちの写真も掲載されており,そのなかに両手でピースサインを作ってニコニコしている美人演奏者もいて,北朝鮮人民の軍隊式イメージ,国民総「キムジョンイル・ドンジケソ」洗脳国のイメージは大いなる偏見でしかない,ということが私のなかで納得できた CD でもある。1999 年,独 WERGO 輸入盤。