東京・原宿,浮世絵・太田記念美術館で開催されている『月岡芳年 没後 120 年回顧展』を見て来た。
原宿駅に降り立つのはもう 20 年ぶりくらいかも知れない。1991 年に原宿テント村・シネマプラセットで鈴木清順監督作品『夢二』を観て以来のはずである。狭苦しい駅舎は相変わらずで,休日の今日は外に出るのにも一苦労の混雑だった。駅を出たら出たで,プチ右翼集団の反民主党デモ行進にブチ当り,気分は最悪。参加している人たちがどういう年代層,身なりなのかよくよく見た。年寄り,若者,男,女,いろいろ混じっていて,ま,外見からでは,普通の人たちだった。「売国奴」というコトバ(俺にはこのコトバは無粋な田舎者の使うたぐいのものである)で人を声高に非難する人たちが,黒い車に乗って軍歌を流してがなり立てる連中だけではない時代になったわけである。「美しい日本」?— 吐気がする。俺には関係ない。俺は仕事をし,人生を楽しみます。ま,俺も民主党は大嫌いであるけれども。
さて,月岡芳年展。太田記念美術館は,表参道(原宿駅舎は久しぶりながら,この通りは顧客本社がある関係で,モードの最先端の若者に混じってスーツ姿の浮いた恰好で,しょっちゅう歩いている)を少し裏通りに折れた所に,ひっそりと建っている。エントランスが近所の川崎市幸区民図書館よりも小振りで,掲示がなければこれが美術館だとは思われないくらいである。東京都内の美術館としては珍しい。
月岡芳年は国芳の弟子で,幕末・明治の動乱期の浮世絵師として世相に翻弄された藝術家。何より血腥い・凶悪な伝奇的題材で知られていると思う。妊婦が裸で逆さ吊りされ,いまにも老婆に腹を割かれ殺されようという絵『奥州安達がはらひとつ家の図』(明治 18 年)には,一度目にしたら忘れられない狂気が漂っている。でも,これらの血腥さは芳年の本性というよりはむしろ時代の趣味らしい。芳年は同時代人の息吹を江戸の technique で描くに,新聞の社会面のような新しいメディアに活動の場を見い出していた。
というわけで,広重の色が青だとすれば,芳年は赤。ブラディ・レッド。美術本や図録で見るこの赤にはさほど特別な印象を覚えないが,実物を見て驚いた。黝い赤が,ホント,鮮やかで生臭いくらいの艶がある。私は,血みどろの殺戮図の赤よりも,遊女を描いた風俗画の衣裳の赤に魅せられた。『全盛四季冬 根津花やしき 大松楼』(明治 16 年)は,雪景色と遊女の肌の白,髪の黒,襲と水面の青に,小袖と土瓶の赤がきりりと眼に立って映えて,何とも美しかった。月岡芳年の浮世絵はだんぜん風俗画が好き。
太田記念美術館は,年会費 4,000 円で,何度でも,常設展でも,特別展でも見放題の会員パスを発行しているらしい。浮世絵の好きな人には堪らないと思う。
『全盛四季冬 根津花やしき 大松楼』図録より