T. Takemitsu - Miniatur V

今日,ようやく雨が降った。ほんの少し。雨の窓を打つ響きを懐かしく聞いた。夕方,武満徹の Miniatur V / Art of Toru Takemitsu ミニアチュール第 5 集を聴く。1970 年代にグラモフォン・日本ポリドールから出た LP レコードである。このなかで私は『Le Son Calligraphie ソン・カリグラフィ I, II(1958), III(1960)— 8 つの弦楽器のための』と『Hika 悲歌(1966)— ヴァイオリンとピアノのための』がとりわけ好きである。

『ソン・カリグラフィ』は題名から察せられるとおり,書の墨のモノクロームと筆法が生み出す,動と静のダイナミズムを,音楽的に表現したものと考えられる。3 曲合わせても 10 分に満たない小品である。『悲歌』はピアノ曲『遮られない休息』第 3 曲『愛のうた』の素材を改めて取上げた抒情的作品。いずれについても,弦楽器の旋律線・持続音と打楽器的点描音との表情は,現代音楽を敬遠する音楽好きにも受入れられる美点だと思う。

レコードのライナーノートで武満徹は書いている。

 調性(トナリティ)をおそれ,それを阻むことによって,いかに多くの音楽が,今日,不毛であることか。また,旋律への意志を抛棄し,曖昧な響きに依存する,明確な言語としての音を喪った音楽が,いかに現実性(リアリティ)をかちえないものであるか,作曲家は反省しなければならない。
 変革は,個人の内部を見きわめることからはじまる。それは,過去を,未来に向って役立つ過去を,科学的に択びとることである。無気力な先祖がえりではない。明確な意識と,強靭な意志とによって,それはなされなければならない。

20 世紀の日本の優れた音楽的知性によるこの言葉は,私にとって,いまこの現代に生きる人間の抒情,音楽の背景にある「思想」というような,危機に際して立ち還るべき何かを示している。

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私の手持ちの盤はもう 40 年近く昔のアナログ・レコードである。スクラッチノイズが酷いわけだが,私はあんまり気にならないほうである。CD では,以下がまだ中古で入手できるようである。

武満徹:ガーデン・レイン
フィリップ・ジョーンズ・ブラス・アンサンブル
アイダ・カヴァフィアン (Vln),ピーター・ゼルキン (Pf)
小林健次・平尾真里・梅津南美子・十川みゆき (Vln),
江戸純子・田中あや (Vla),高橋忠男・工藤昭義 (Vlc)
荘村清志 (G)
ポリドール (1997-02-26)