最近,本屋に勤める知人から,丸付き数字を使いたがる老いた俳人著者に困っているとの話を聞いた。「たいへんだね」と同情させられた。俳句詠みは,結社仲間の作品を句会で知る程度で,他人の作品の研究や勉強をまったくしない人が多いそうである。唯我独尊。知人はそういう独り善がりな自称「文化人」たちの我儘に付き合わさせられているらしい。たいへんだね。同情する。老人というだけで本来的に短気で我儘なのに,それにさらに「文化人」気取りと独善的プライドが加わるとなると,想像を絶する精神的苦痛を知人は受けていると察せられる。
私は文書組版システム LaTeX を使うからか,本の版面の組み方がひどく気になる。そして,著作のなかでそれを見ただけで,著者の「教養」を疑ってしまう根拠となるものがある。その代表は丸付き数字,倍角文字,強調傍線の使用である。通常なら編集者がこれらの使用を嫌うはずなので,なのに印刷されてあるということは,敢えて著者が我儘を通したに違いなく,よって著者の独善による恥晒しだとはっきりわかる。
もちろん Web ページならば上下付き,ルビ,傍点などの文字組に大きな制限があり(できないというより,あまりにも汚い),コンピュータのモニタでは漢字書体が見分けにくいこともあって(和文 Web ページでゴシック体が好まれるのはモニタの解像度では明朝体が汚いからである。最近はかなり改善されたのだが),強調のために下線を使ったりするのは普通なのだが,一般の書籍では強調は,ボールド書体,イタリック書体,ないし傍点・圏点で行うのが文字組版として美しくかつ伝統的なマナーである。傍線,波線などは試験の設問箇所などを図示する工夫でしかない。本を読んで大事なところに横線を引くことがあるが,一般書籍版組でやられてはみっともない。倍角なんてのは,昔の少リソースのワープロ使用の悪しき影響である。醜いことこの上ない。なのに使いたがる人が多い(知人の話では,やはり年寄りが多い)。
そして,丸付き数字。これを「真面目に」使うのは本来,法律の一部条文くらいではなかろうか。もちろん,辞書や科学技術文献では「本書使用上の注意事項」という定義付けをもって丸付き数字の使用が正当化される場合がある。しかしそれ以外の,とくに縦組和文脈で何の特別な意味付けなく丸付き数字を見ると,「この本の著者は,学習参考書しか読んだことがないのではないか? 次の5つの選択肢から正解を択べってか?」と私は呆れてしまう。それくらい丸付き数字は醜い。章や節番号には縦書きなら漢数字,横書きならアラビア数字を普通に使えばよいのだ。あるいは,丸付きなぞではなく,せいぜいパーレン付き数字を使うべきである。箇条書きの列挙でも,アラビア数字,ローマ数字,またはアルファベット小文字をパーレン付きで記すのが原則であって,丸付き数字を使うと基本的に出版人から笑われる。
丸付き数字を使ったっていいじゃないか,わかるんだから自由じゃないか? たしかに自由である。でもそれは笑われるのも自由だということである。ちなみに,かつてはコンピュータの文書交換においても丸付き数字の使用は嘲笑の的だった。JIS X 0208 には丸付き数字がなく,NEC の PC-98 などのいわゆる「機種依存文字」として丸付き数字が使用可能だったので,Windows 上で SJIS 文字コードで書いた Web ページの丸付き数字を UNIX 上のブラウザで表示させると文字化けしまくるというのが普通だった。箇条書きの冒頭が文字化けしているページを見る都度,「こいつ,何も知らねえ」って独り言を発したわけである。現在は Unicode,JIS X 0213 で定義されているので普通に使えるようにはなったわけだが,私のような古い計算機ユーザはいまだに丸付き数字を使うのを毛嫌いしているものである。ましてや一般書籍で使うなんて,ハハハである。