秘密 — 深淵を覗く者は深淵からも見られている

サッカー元日本代表の稲本選手が,恋人とホテルに泊まったことをホテルのアルバイト従業員にツイッターで暴露され,ニュースになっている。有名人ともなればプライベートのお忍び行為すら,ハナクソ一般人に土足で踏みにじられる対象となる。不憫である。有名税というわけか。

この不祥事で,当のホテルは企業価値を決定的に落とした。私なら,ホテル側が何の再発防止策も取らないとなると,このホテルは選ばないだろう。ほかにも口の軽いアルバイト従業員がいるかも知れないから。問題のアルバイト従業員は女子大学生だったそうで,女の口には蓋をすることができないと昔から言われていることはさておき,「秘密」に関する認識の甘さは若気の至りというものかも知れない。

しかし,彼女はホテルとの労使契約に際して業務情報・秘密保持義務を受諾しているはずである。稲本選手が今後どのような対応に訴えるかによらず,ホテルの雇い主は,業務上の秘密事項を公にしてしまった軽率な女子大生をクビにするのはもちろんのこと,損害賠償だって請求できるはずである。私がホテルの社長なら,間違いなく民事訴訟に訴え,事態の後始末に要した経済・信用上の損害に対する金銭的責任をも彼女に負わせるべく動くだろう。そうしないと,顧客の秘密の悪意ある(「面白半分」とは悪意のもっとも下品な形態である)暴露という大罪(そう,大罪)が「若気の至り」で済まされ,当の主体が無傷で放免されては,他の従業員にも示しが付かないからである。

秘密はどんな人にもある。「私たちの間には秘密はなしよ」— この手の「友情」は,ただたんに「ガキの馴れ合い」でしかなく,いかに浅はかなものか。自分以外には絶対知られたくない秘密。愛する恋人・家族にも言えない秘密。秘密であることでその社会人としての尊厳を保つことのできるような性格のものは,誰にもあるはずである。それは重大かつ困難な人生を歩んで来た人ほど多い,と私は思う。それを「面白がって」公に暴露されたらどうか。公私ともに秘密の担保というのは保護すべき極めて重大な人権なのである。

先日,松下忠洋金融・郵政民営化担当相が自殺を遂げた。その理由についてさまざまな憶測が駆け巡っているわけだが,週刊新潮で松下氏の女性問題が報道される矢先だったという話もある。もしこれが自殺の直接的原因だとすれば,秘密の暴露は政治家を狂わせ,ひいては日本の国政すら狂わせる可能性を秘めていることになる。ま,浮気がバレたスキャンダルくらいで死んでしまう政治家だとしたら,そもそもそんなヤワな奴は国政にはいらんというのがまず念頭に浮かぶ。だから週刊新潮は無関係か,もしくは死の一契機に過ぎないのかも知れない。郵政民営化は大臣の生命をすり減らすくらいの事案だったというのがいちばん穿っているようだ。いずれにせよ,悔まれる話である。松下氏のご冥福を祈るばかりである。

件の女子大生は,稲本選手お泊まり暴露のかどで手痛い目に遇うべきである。そしてこの軽はずみの惹き起こした一連の事件の消息が,今度は彼女の未来において「他人に知られたくない秘密」になるであろうことを思い知るべきである。他人の秘密に関して考えの甘い人間は信頼されず,まともな企業には雇われない。「深淵を覗く者は深淵からも見られている」とニーチェが言ったように,大物の秘密を覗くものは大物に纏い付く何かからも見られている。大物の秘密を暴露する者は,その纏い付く何かから手痛い目に遇うことになる。

立場上知り得た他人のプライベートな秘密を守ること。私は「口の軽い」人間が大嫌いである。人間にはウラがある。そして,思うに,そのウラのある姿をも尊重しなければならないのである。もちろん,職務上ないし公的事案においてやってはならないことをやっている輩の「秘密」の行いは,思うに,大いに公にすべきである。