暑い夏は暑苦しい音楽を。仕事からの帰りの電車でブラームスが猛烈に聴きたくなった。トゥー,ルルル,ルール,ルルル,ルール,ルル,ル,ルー... チャー,ラララ,ラー,ってな具合に,— 読んでも何が何だかわからないでしょうけど,— ヴァイオリン・コンチェルト・ニ長調。この冒頭を聴くと何故か私は「君が代」を連想してしまう。それはさておき,ナタン・ミルシテインのヴァイオリン独奏,オイゲン・ヨッフムの指揮,ウィーン・フィルハーモニー管弦楽団の管弦楽によるアナログレコード,1970 年代中頃のドイツ・グラモフォン盤を,帰宅して大きな音で聴いた。
付点の特徴的な勇ましい旋律の弦楽合奏に続いて,鋭く切れ込んで来るヴァイオリン・ソロ。ここがダメな演奏はもう後ろを聴く気がしなくなる。それくらい,主人公のヒロイックな登場シーンとして全作品を決定付けるこの場面,ナタン・ミルシテインの演奏が私はいちばん好きなのである。クラシック音楽の国定忠次なんである。
ブラームスのコンチェルトの特徴は,英雄的な勇ましい第一楽章に,対蹠的な優しくセンチメンタルなわかりやすい旋律の緩徐楽章(だいたい第二楽章)が続くところ。現代人を洗脳してしまった「人生はドラマだ」というロマンティックな生の表象,表現手法だと私は感じている。人生はドラマだ,なんて私自身は思いませんが。人生がドラマなら主人公は誰だ? 自分だというのか? だから人間が自己中心的になるのだ。
どうしてこんな優しく力強い音楽をドイツ人は書くことが出来るのか。この印象が強過ぎて,最終楽章・ロンドの軽やかさはいつもすっ飛んでしまう。私のブラームスの楽しみ方は歪んでいる。Johannes Brahms - Violinkonzert D-dur op. 77. Nathan Milstein, Violine; Eugen Jochum, Dirigent; Wiener Philharmoniker; 1975 年,西独 Deutsche Grammophon 輸入盤。
CD でよく聴くのはヴィクトーリア・ムローヴァのヴァイオリン独奏,クラウディオ・アッバード指揮,ベルリン・フィル管弦楽の演奏による Philips の東京ライブ録音盤である。ヴァイオリニストは,とくにロマン派音楽においては,凶暴と繊細とで魂を鷲掴みにしてしまうロシア系演奏者が私の好みである。
Berliner Philharmoniker
Polygram Records (1995-01-17)