情けない。私のお小遣いは月四万五千円。給料日が月末26日で,先月も27日に七月分として妻からこの額をいただいたわけだが,その翌日に顧客と呑みに行き,一次会は経費で落としたものの,二次会では多目に支払い,まだ六月のうちに一万円の出費。昼食から何から,残り三万五千円で一月を暮らさなければならなくなった。煙草代ハイライト四百十円を三十日で一万二千三百円,昼食代一食五百円を二十日として一万円,残業で夕食も外食するとして五千円。二日に一度はコーヒーだって飲みたくなるので三千円。というわけで七月六日にしてもうすでに,これ以上の出費は命取りになりそうである。新しい本も CD も買いたいのに。「煙草やめたら?」というのが妻の提案である。
情けない。しようがなく,書斎の本や CD をネットオークションに出品し,少しでも懐の足しにすることに。売れればの話だが。昨夜,ミハイル・ブルガーコフのロシア語版初期散文集三巻,ロシア・アヴァンギャルド詩論集,ブルックナー,モーツァルトなどクラシック音楽 CD 六枚,某アイドルのヌード写真集を出品した。何とか一万円くらいの値が付いてくれないものか。どうもエロ写真集しか入札はなさそうである。大学生の息子はバイトで月五万円くらい稼ぐ。昨日はパチンコで二万円勝ったらしい。何で父親のオレより小金持ちなんだ? コノヤロー。
ところが。今日の定時間際,名古屋の販売会社SEのSくんがひょっこり私の席に現われた。「あれ,今日はどうしたの?」と私。「Tさん(愛知県の大口顧客)のシステムエンハンスの件で,Hさん(ウチの製品担当設計)と打合せだったんです。先日はごちそうさまでした」とSくん。私はヒソヒソ声で続けた —「逢えなくて残念だったよな」。この前,ここにしるしたとおり,新宿歌舞伎町のクラブYで彼お気に入りのまどかちゃんに逢えなかったことを,私は悔しがってみせたわけである。「どう,今夜時間あるの? 六本木あたりででもどう?」と,金もないのに私は呑みに誘ってしまう。「行きましょう」。そう言や,この前もSくんを誘ったストリップ見物で月末近くに自腹の一万円を放出しても,なんとかなったのだ。やっぱりネットオークションで事前に資金調達していたのであった。
今夜はワリカン。気心の知れた友人と呑みながら,最近読んだ本や観た DVD など共通の趣味の話をして,私はよい気分だった。それでも,愚痴が出てしまった —「しかし情けないよね,昔はお客さんに大判振舞したのに,ここんとこ経理がやたらと接待費をケチるもんだから,身銭を切らないといけない。ところが切るべき懐もスッカラカンってわけだ。二十年前ならお客さんをソープランドに連れていっても,店に『お食事代』で領収書を切らせて経理部をごまかせたのにな」。「そんな時代があったんですね」。Sくんは,いつものように,驚いているのかいないのか,声の調子はまったく変らない。「ということは,この前の新宿ニューアートは接待費ではなくヤスダさんの驕りということでしたか。では次に名古屋にお見えになる際には,お返しに,僕が金津園にヤスダさんをお連れしましょう」— 金津園とは岐阜の一大風俗街である。「いいよ。僕は『おもてなしをする』側だから。T社さんの部長さんあたりをお連れしてチョーダイ」。
世の中にはあらゆる者を「勝ち組」と「負け組」に分類したがる人がいる。何についても「世の中の人間は〜な者かそうでない者かのどちらかだ」としたり顔で言うバカが多い。これを論理学では「二分法」という。そう,子供の頭を占有している「イイモン」あるいは「ワルモン」の理屈である。そう,二分法は,どんなに説得力をもって聞こえても,畢竟,世界の子供じみた単純化なのである。それでも,私は確かに「もてなす」役割しかこれまで果たして来なかった。営業とは,仕事上,そういう立場なのである。顧客に呑ませ,女を抱かせるのが常で,こちらが呑ませてもらったり,女を宛てがってもらったりなんてことはない。それでよかったし,よいのである。私も,私の家族も,それなりに幸せである。
「女を抱かせる」ー 正確に言えば,これは事実ではない。訂正する。私は「売春」に加担したことはないし,そうした積もりもない。私は吉原のソープランド(いつも接待で利用するのでかなりのワガママの利く店である)に電話予約を入れ,お客様をそこへ送り込み,領収書の摘要において経理決裁上のズルをしただけである。そのあとそこでお客様が何をしたかは知らん。真面目なお方ならこんな私を「女衒」呼ばわりしたいかも知れない。コトバの意味をきちんと把握してから言ってもらいたい。女衒とは借金のカタに婦女子を売春宿に売り払う業者の謂である。私は女性をソープランドに「売った」ことはない。そもそも,ソープランドは売春をしていないことになっている。男性客と接客業女性がいっしょにお風呂に浸かって歓談していたら,ついついソノ気になってしまった — としたら,それは男女の仲の話であって,第三者である私の制御できる範疇ではない。真面目なお方ならこんな私を「不倫」を唆していると非難したいかも知れない。コトバの意味をきちんと把握してから言ってもらいたい。「不倫」すなわち既婚者の道ならぬ恋は,金で買い与えることができない。
こういう,プッと吹き出してしまうような割り切りをしてでも,私はおもてなしに勤しんで来たのである。そうそう,わが国のかつての総理大臣・アベ先生だって,従軍慰安婦問題について「組織的な強制はなかった,ゆえに管理売春の事実はなかった」と公言し,私と同じ論理で,大いに笑わせてくれたではないか。私ごとき民間の一営業なら愚にもつかないブログに書いて自嘲気味にプッと吹き出して終わりだが,一国の宰相が世界に — 日本人の貞操観念なんて通用しない世界に — 向かって言う言葉だろうか? 私ならこの宰相の言に大いなる同情を示したいが,それは国内の事情であって,この言草は国際的には通用しない。それが「美しい日本」?— 笑わせるな。
ただし,お客様が独身者であったり,女遊びに馴れない既婚者だとこちらが踏んだ場合は,絶対にこの手のおもてなしはせず,呑ませるだけ,見させるだけ,触らせるだけ,と私は決めていた。何故なら,独身者やウブな妻帯者を風俗でもてなすのは,彼の人生を狂わせ,ひいては彼の家庭をも壊してしまう可能性が高いからである。そうなってしまったら,営業的観点でも回復不能の致命的なミスである。お客様にはプライベートでも幸せになってもらいたい。独身者には真摯な恋愛をし,心身ともに立派な結婚をしてもらいたい。ソープランド接待は,相手顧客がプロの女性の扱いに馴れた年輩の粋人である場合に限り,取り計らうべきものだった。
もうひとつ,独身者を女色のある接待に招かないのは,とくに若い男はままに口が軽いからである。わが社の接待を受けたことや,コンパニオン女性との行為について,他人にペラペラ吹聴されたら,こっちは堪らない。ネットにあることないこと書き込みをされる危険性もある。相手顧客が口の軽い男だと判断すると,私はディープな接待は絶対にしないことにしていた。別の実力者の腰巾着として招いて,呑ませるだけ。そういう人間は,その組織のなかでも信頼されておらず,接待に値する地位 — 決定権を持つ地位 — にはないからである。もとより,口の軽い男を私は人間として好かない。2ちゃんねるで匿名で暴露的にクダを巻くヤツは,このコトバの本来の意味において,「最低の人間」だと思っている。
ありゃ? あと三万いくばくかで今月どう暮らすかを考えていたのに,ソープランド云々なんて話に飛躍するとはどうしたことか。ああ,そうそう,Sくん,「おもてなしをする側」の僕を金津園のソープランドに招待する必要はないよ。「じゃあ,Sくん,次,名古屋に用事ができたら,名古屋のストリップ小屋にでも連れてってよ。またK.Kに逢って,彼女のおべんちょとお話できるといいね」—「わかりました,ぜひ行きましょう」とSくんは真面目に応じた。今夜Sくんと呑んだ分,ネットオークションに出すブツをさらに捻り出さないといけなくなりそうである。
かのような次第で,私は恥ずべき女色接待を当たり前のようにして来た。ワガママの利く上記ソープランドの支配人と呑みに行ったことがある。そこで私は彼からビックリするような話を聞いた。コンパニオンと話をするだけ,彼女に「こんな下劣な仕事はやめてきちんと働きなさい,僕ができることならしてあげる」とか大真面目に説教するだけで,ファックもせずに金を払って帰る年配客が,たまにいるらしい。
金を払ってソープランドに入ったのにファックをしない? それなら何故,吉原なんて悪所に行くのか。おそらく,こんな爺は,己の人格者たることをきれいな若い女性に褒めてもらいたいだけの子供じみた自己陶酔者か,タタないのでファックはできないにせよ若いコンパニオン女性をなんとか外に誘い出して連れ歩きたいステータス誇示者か,そのいずれかであると私は思う。それなら昔の芸者買いの金持ちのように責任をもって女を身請けしてやれ,というのだ。
こういう男を前にして,「プロ」のコンパニオンが人格者風説教に「感動」なんかするはずがない。この人格者さん,つまり年老いたお子様は,彼女から — 自分よりも20も30も若い女から —,100パーセント,心の中で鼻で嗤われて終わりである。私だってコンパニオンを支持する。想像するに,こういう客を前にして,彼女は仕事がいつものように進まず,人格者の説教という言葉の拷問に耐えていたはずである。彼女に同情する。こういう人格者ぶった年寄りが私は大嫌いである(スターリンやブッシュより嫌いである)。
一句でけた。泡姫とファックをせずや人格者。信じられません。柔肌の熱き血潮に触れもみで悲しからずや道を説く君。晶子が鉄幹に嫁いだのも信じられません(悲しいのはじつは触れ「揉み手」のことを言うのか)。コンパニオンとファックをしない爺は,いったい何年この不条理に満ちた世界で生きて来たのだろうか。ソープランドとは,コンパニオンと歓談し,後腐れなく安心して — これが大事 — 楽しいセックスをしに行くところだ。だから私は大切なお客様をご案内するのである。幸い,私がおもてなしをしたお客様にはこのような偽善者はひとりもいなかった。
このブログを読んだ妻が,「お父さん,ソープランドなんかで女遊びしてんじゃないでしょうね!」と噛み付いて来た。一月四万五千円で,こんなお大尽はできません。「なに,お金があったらするっての!!」。あのねえ,「もし〜なら」っていう議論は,わかるでしょ,意味ないの。もし〜ならしたい・したくないの空想をする前に,できる・できないの現実判断で議論を切るのが大人。もし年収一億あったら毎年ニース,ソチにバカンスに行くんだけどな。ね。悲しくなるでしょ。年収一億ないんだから。意味ないの!