大津の自殺問題

大津の中学校で二年生の男子がイジメを苦に自殺したとの問題で,今日の朝日新聞夕刊によれば,とうとう滋賀県警が暴行事件として捜査を開始した。わが子をこんな形で失った親御さん,なにより自殺した中学生の無念は,当人でないとわからない。

警察の介入。これはイジメを受けていた中学生の親が再三にわたって提出していた被害届に基づくものである。よって,当局としては当然の動き方である。問題が起こってから動きはじめるのも,当局の常である。この問題は,自殺を契機としてやっと警察が動きだした,警察は初動が遅過ぎた,なんて — 朝日新聞での識者の論調のような — ことではなく,学校を巡る共同体(先生,生徒,親,ご近所)が自分の力で問題に対して何もできなかった,ということだと思う。学校での問題に警察が割って入るなんて,子供のケンカに親が出ばる以上の何かである。わが子を守れるのは親である自分だけだ — こういう酷薄な共同体(社会)の問題なのだと思う。

警察権力のもとに取り調べが行われると,いままで学校,教育委員会,イジメの主体とされる生徒とその親,その他生徒・父兄の間にあった,穏便に事態を収拾させようとする,一種独特の暗黙の防御的連携が,警察権力の前に崩れ去る。罪のなすり付け合いやら,見たくない第二幕がはじまるはずである。別の新たな悲劇が起こるかも知れない。「イジメがあったという認識はない」と言っていたはずの教育長が,自殺の原因にイジメが考えられると態度を変えたというではないか。

私はこの問題が「犯罪事件」になったからには,もう興味がない。警察のおかげで,関係者は皆不幸になるだろう。亡くなった中学生のご冥福を祈るばかりである。

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今日,会社から帰宅してネットニュースで昨日の五輪壮行試合の話題を見たら,予想通り,関塚ジャパンは叩かれまくりであった。壮行試合でブーイングが出るなんて。そう,つまらない試合・結果にファンは激越なブーイングを浴びせるべきである。それで萎んでしまうプレーヤならそもそも不要だし,「よっしゃ次は目にもの見せてくれる!」と気負い立つプレーヤに大成してくれればよいのだ。

一方で,関塚ジャパンを批判するに「君が代を歌わない選手が多過ぎる」というバカも多い。サッカーとは関係ないでしょ。選手たちには,こんなバカに足下を掬われないよう,提言したい —「クチパクで歌え君が代」。

昨日の試合のファン投票による WOM,MOM が「ファンが選ぶWOMに宮間あや、U-23代表のMOMには徳永が選出」SOCCER KING 配信記事に出ていた。WOM は宮間選手,MOM は徳永選手。皆さん,よく観察しています。でも WOM 投票第二位が大儀見選手ではなく川澄選手なのは,いったいどういうことか。確かに川澄選手は PK を獲得し,終始動きがよかった。しかし,試合を決定付ける2ゴール目を上げた大儀見選手(あるいは,絶妙アシストをなした近賀選手)のほうが断然讃えられてしかるべきではなかろうか。宮間選手が実力で選ばれたとすると,川澄選手はどうも彼女の「見た目」(柴咲コウのような美人だから当然だ)を好いた票を集めたようである。

サッカーは人気スポーツだから当然か。しかし,プロフェショナルの女性を前にしてそのプロたる仕事の善し悪しを論評しないで,容姿など目に見えるわかりやすいところに関心をもつのは,アスリートに失礼というか,ハッキリ言って,子供じみて「下品」である。スポーツ新聞など,「川澄ちゃん,とうとう体脂肪率10%以下! 脱いでもすごいんです」みたいなことを平気で記事にするわけだが,こういうのを人を舐めた — 人の人格・努力を無視した — 品性下劣というのである。これこそセクハラ。川澄選手がホント不憫である。

それはさておきこの壮行試合。なでしこを「前座」にするところ,またそれを誰も疑問視しないところが,そもそも日本サッカー協会,メディア,サポーター,要するに日本全体の男尊女卑の現われである。なでしこは,三流の U-23 男子代表と異なり,「世界の大舞台で結果を残した超一流」なのである。前座は U-23 にさせるべきだった。ネットをみる限り,これについて問題視している発言がひとつもない。君が代を歌うかどうかなんてクソくらえである。「脱いでもすごいんです」とどこも変らない。