名作文学作品の映画化はがっかりさせられることが多いものである。しかし,フランツ・カフカ原作『変身』に基づくロシア映画『変身 Превращение』(2002 年,ヴァレーリイ・フォーキン監督作品)はちょっと違う。
グレゴール・ザムザはある朝目覚めると「自分が一匹の巨大な虫に変っているのを発見」した。これを映像で表現するに奇怪な虫をどのように描くかが,小説を読んだ者には興味深い点である。映画では,一匹の巨大な虫に変貌を遂げたザムザの外見は,まったく同じ人間として描かれていた。ただし,彼は言葉を発せず,その仕草,行動が人間的生活感を喪失した異常さに満ちていて,よって彼の家族は息子が怪物に変じてしまったと考え,彼を世の中から隔離しようとする。
この映画を観て,これ,日本の「引きこもり」青年を抱える家族の肖像だ,と私は直感した。カフカの原作では理解できなかった本当の恐ろしさをみた気がした。行動様式の異常性が認識されると彼の社会性が周囲の人間によって奪われてしまう。これは「不条理」でも「幻想」でもなく,「現実」なのだ。
ある朝目覚めると突然,会社に行くのがどうしてもイヤになる。この世はイヤなことで満ち満ちているじゃないか。どうしてイヤなのか? 「ブスやデブは大キライ」,「加齢臭オヤジは吐き気がする」,「ハゲと一緒なんて堪え難い」というのに,理由など説明できない。そういう「イヤさ」である。とにかく,イヤ,なんだよ。これは,ザムザになる一歩手前である。