金環蝕

今朝の金環蝕の話題で持ち切り。昨日,川崎駅前まで散歩に出たついでに,観察用メガネでも買おうかと思ったら,すでに売り切れであった。

曇り空(あいにくというべきか,絶好の観察日和というべきか)のもと,子供たちは下敷きやら何やらを何枚も重ねて,恐る恐る金環蝕をチラ観したらしい。私はというと,世紀的珍事のこの時間,グースカピースカ寝ておりました。会社から帰宅して,YouTube を覗いた。金環蝕ビデオがすでにたくさんアップされていて楽しませてもらった。雲が逆に幻想的な雰囲気を醸していて見事であった。ひとつエンベッドさせていただく。

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晩ご飯のとき,牛丼チェーン店でアルバイトをする息子が,商品にイチャモンをつける困った客の話をした。牛丼の肉がくずれているだの,ビールがまずい,キリンを出せだの,アルバイトの店員に食って掛かる客。二,三百円の牛丼を頼んだに過ぎないのに,最高級のフランス料理フルコースでもご注文なされたような気で息巻く客がいるものである。テイクアウトしたあとで自転車で転び,牛丼が容器からこぼれてしまったのを,きちんとフタが締まっていなかったからだと強く主張する40代のオバさんもいたらしい。息子は商品を作り直して提供し,転ばないよう注意してください,と応対したらしい。世の中にはいかにバカな大人がいるかが身に沁みるのはいい経験だ,最近はガキのような大人,とくに世の中の中心を担うべき4,5,60代に幼児的大人が多いから注意しろ,と私は息子に言った(これは私の本心であって,最近はバブル時代に甘やかされた4〜60代よりも,2〜30代の若者のほうがキチンとして良識のある人間が多い。喫茶店で騒いでいるのは若者ではなく4,5,60代のオバさんたちである)。

客と店員という関係において,カネを出す客の立場で理不尽なことを恥ずかしげもなく口にするヤツには,絶対に怒りや困惑を顔に出して応対してはならない。怒りは「モノ」や「虫ケラ」に対して発動しても無意味だからである。凶暴な犬が言うことを聞くのはその主人だけであって,苛立ってその犬を宥めたり怒鳴りつけたりしても,犬はますます猛り狂うだけだからである。落ち着いて,決めたルールに従って(飲食店・小売業は文句を言う客への基本的対応方法を決めているものである),事務的に処理を進めるか,涼しい顔で言うことを聞いてやるしかない。とにかく仕事として責任をもつべき部分を果たす限りにおいて,家族でも友人でもない,虫ケラのようなつまらない人間のことで心を動かされるのは,それこそ人生のムダである。そんなことを話した。

私もシステムの仕様と実装について難クセをつけてくる顧客はゴマンと経験している。何か綺麗な絵を掛けてくれといわれてこちらがセザンヌを用意したら,あとからゴッホがよかったと恨言を言う客がいる(こうして,「じゃセザンヌでよござんすか」と前もって確認して文書に残す智慧がついて来る)。しかし,私の商売の顧客は国家公務員か,キチンとした企業のキチンとした社員ばかりであるからか,常識の通用しない「大人げない」クレームを受けることはあまりなく,狡賢いクレームをいかに平和的に,Win - Win で解決するかで悩むことが多い。双方に相手の人格を認めるビジネスがそこにある(それでも首を絞めたくなる顧客担当者がいるんだが)。

それに対し,息子のグチを聞いていると,ホント「ガキのワガママじゃなかろうか」と思うような言いがかりを息子は客から受けているらしい。立場の弱い者に対して「だけは」強く,偉そうに出るヤツが結構多いらしい。店員や業者を奴隷同然に見下して扱いたい客。カネを払った以上は商品に「付随する」どんな要求も許されると勘違いする客。飲食店や小売業の店員はホント大変である。息子は大学の授業なんかよりもよっぽどよい経験をしているんである。

ま,そういう客は私生活の可哀想なヤツなんだと哀れんでやればよい,と私は息子に言っている。親がこんなふうに他人に対する不信感を煽ってよいものか? いや,世の中敵だらけだと思って生きているほうが面白いのである。いや,世の中には惚れ惚れするくらい大したヤツもたくさんいるが,くだらないヤツはその何百倍といるものである。そして,俺もその「何百倍かのほう」に属していると自嘲しつつ,こういう茶番の主役を心で嗤いのめすのが面白いのだ。そうでもしないとやってられるか。