川崎古書店・近代書房,『上海異人娼館』

今日,顧客との打合せで外出し,16 時ごろ平和に会議が終了した。中途半端な時間であった。ぶらりと川崎駅の本屋にでも寄り道して帰ることにした。JR 川崎駅舎を出たら少し散歩したくなり,さいか屋前の交差点を渡り,三十七番街を歩いた。夜になると立チンボがうようよ徘徊するこの辺りも,この時間帯ではまだ平凡な買い物客が連れ立っているばかりである。小土呂橋交差点をちょっと行ったところにある『近代書房』という名の古書店に入った。

この古本屋は,ブックオフ・チェーン全盛の昨今,川崎周辺では極めて珍しい,オールドスタイルの古書店である。一大古書店街・神保町は,靖国通り沿いにはジャンルにこだわりのある専門古書店が多いのだけれど,少し横町に入るといろんなジャンルから店主のポリシーで選んだ古書を並べる小さな店がたくさんある。『近代書房』もそんな店である。文学書,哲学書,歴史書,美術書を中心に,旧き善きエロ・サブカル本もたんと置いてある。私は一年に何回かこの店を訪れる。もちろん品揃えが好きだからである。

20120316-kosho-1.png近代書房

近・現代詩・短歌・俳句関係,澁澤龍彦初版本関係が結構充実している。私の愛読する沖積舎『北園克衛全詩集』の古い版が 6,000 円で売られていた。鷲巢繁男詩集・国文社初版本が 12,000 円。『中原中也全詩集』,『西脇順三郎全詩集』,『ロシア・フォルマリズム文学論集』,『プーシキン再読』,『レーモン・ラディゲ全集』,『ミルチャ・エリアーデ選集』,『ロートレアモン全集』のような — 私なんかには — 魅力的な古書が,神保町と比べて廉価な値札を付けて並んでいる。岩波文庫,ちくま文庫,講談社学術文庫など,よい本なのにすぐ版が絶えてしまうような部類の文庫が,点数はそう多くないにせよ,固めて並べてあり,店主のセンスが感じられる。三一書房刊『久生十蘭全集』全 10 巻 7,000 円也を見つけ,おおと唸ったわけだが,何分,わが財布は軽かった。文庫セット物の棚で石川淳『狂風記』上下二冊 400 円也を見つけ,買うことに。

20120316-kosho-2.pngセット物文庫本(左)/詩歌書架平積みのエロ雑誌(右)

中古アダルトビデオ,エロ雑誌もわんさかある。官能小説本も纏まって並んでいる。コミックを含めると,店の 3 割くらいはこのテのサブカル品が占めている。昔の『平凡パンチ』や『写楽』,刺青の女任侠絵の懐かしいSM小説雑誌『SM秘小説』などに食指が動く。どれも値段は 150 円,300 円くらいである。1980 年代のビニ本を漁っていたら,なんと夏目雅子写真集(もちろんこれはエロ本ではありません)が出て来て,買おうか買うまいか悩んでしまった。中古アダルト DVD は 1,000 円均一。「どいつもこいつも同じ」という店主の値付けの主張は実に正しいが,ちょっと高くないか。私以外の客はここにしかいなかった。しかも年寄りばかり。一人の老人がエロ雑誌を取っ替え引っ替え選んでいるその後ろで,また一人の老人,エロ純文学作家・渡辺淳一か中村真一郎みたいなスケベ爺ィ — そう言えば,店先の叩き売りコーナーに加藤周一・中村真一郎・福永武彦のマチネ・ポエティク三人衆の筑摩現代文学全集の一冊 100 円也があったな — が,官能小説を立ち読みしていた(古本屋でこの類いをタチ読みするか,普通?)。私のちょうど横では,若い女性店員がアダルト DVD を,まるで穫り入れの果実のように,両手いっぱいに抱えて仕分け机に下ろそうとしていた。何か,いい雰囲気。

20120316-kosho-3.png詩集書架一部

オールドスタイル古書店の例によって,映画のチラシやブックレットのコーナーもある。掘り出し物のような類はなかったが,寺山修司監督・脚本作品『上海異人娼館』(1981 年,日仏合作)のブックレットを見出した。こいつはゲットすることに。

私はこの映画を,大学時代,公開されて間もなく,札幌の映画館で観たんである。『O 嬢の物語』で有名なフランスのポルノグラフィ作家・ポーリーヌ・レアージュ原作に基づく。貴族・ステファン卿(クラウス・キンスキー。そうそう,あの麗しいナスターシャ・キンスキーの親父である)が,己の愛人 “O”(イザベル・イリエ)を 1920 年代の上海租界に連れ立って来て,彼女を娼婦の身に沈め,下司男たち(日本兵というのが笑える)に抱かせて,その愛を確かめようとする。欧州列強の奴隷国家であった中国の暗い時代を背景とした,倒錯した性愛の物語である。新高けい子,山口小夜子,高橋ひとみがエキセントリックな娼婦役で光っていた。娼館の女将役・ピーターの残忍な演技もよかったな。

中国風豪邸の絢爛たる西洋式屋根付寝台でステファン卿と “O” が交わっている。そのすぐ側で,中国人の老いた奴婢が,男女の交わりに気を取られることなく,何事もないかのように — まるで結びの一番で横綱が敗れ座布団が飛び交う大騒ぎのなかで己の仕事に没頭する呼出のように —,眉一つ動かすことなく静かに帚で床を掃いている。このシーンには,いまでも強烈な印象が残っている。主人にとって奴婢は置物と同じである。奴婢にとって主人の行為は,たとえセックスを繰り広げていようとも,窓を叩く雨と何も変らない。こうした『上海異人娼館』の夢のような猥褻な映像は,現代日本のシツケのよい人たちには絶対に撮れないものである。DVD が販売されているようだし,30 年ぶりに観たくなってしまった。

20120316-chinadoll.png『上海異人娼館』ブックレット表紙