3.11 から一年

今日は東日本大震災発生からちょうど一年。午後,国立劇場で執り行われた追悼式の模様をテレビでみた。心臓の手術を終えられたばかりの天皇陛下が追悼のおことばを述べられた。震災直後,三月十六日に陛下が国民になされたメッセージも心に迫るものがあった。被災地へのお悔やみ,生存者・救援隊への激励,海外からの支援へのお礼 — 今日のおことばも主旨は同じ。日本において発言と行動とでブレることのない唯一の公的存在 — それは天皇陛下である。

この一年はあっと言う間だった。それでも一年たったわけである。なのに被災地ではガレキ処理がまったく進まず復興の決定的妨げになっている。家やビルを立て直したくてもガレキの行く先がなけりゃ何も進まないのは当然である。ガレキ受入れを決めたのは,東京都,青森県,山形県だけである。それでやっとガレキの 5, 6% のメドしか立たない。この背景には,一にも二にも,放射線問題の風評とその始末において政府の対応が不審感を煽ったがゆえの,受入れ反対の根強い意見がある。

ガレキ処理は選択肢のひとつではなく,must の事案である。この点において専門家が安全と判断したガレキを国が始末するのは,可及的速やかになさねばならない must の問題であって,岩手・宮城・福島三県だけでは処理不可能である以上,他県で均一に受入れる施策も must のはずである。東京都知事・石原慎太郎はこのことをよくわかっていて,反対派に対し「黙れと言えばいい」と,選挙で選ばれた首長として決然たる態度を示した。少数派の意見も尊重すべきだが must である以上,「無視」することの政治判断も国難においては決定的重要性をもつ。

Yahoo! クリックリサーチの結果では,「自分が住む町での被災地のがれき受け入れ」に対し,賛成 75%,反対 21% である。これが「受入れを決めた都道府県が 75%,拒否したのが 21%」とならず,逆に受入れを決めたのが全都道府県の 3/47 に過ぎないのが,民主主義の面白い(というか,民主主義が機能していない)ところである。自治体が事勿れ主義でサボっていやしないか。

わが神奈川県は,事勿れ主義でも,民意への行政のアンテナが低いわけでもなく,受入れに前向きなのだが,反対意見を「無視」できずにいる。真面目で良心的な黒岩神奈川県知事は,何回か市民討論会を開いて受入れへの理解を求めたけれども,反対派の強硬姿勢を逆に煽ったような結果になって,困り果てている。でもこれは must の事案である。きちんと意見を聴く場を設けたのだから,己の政治家としての良心に照らし,石原東京都知事を見習って「政治判断」をしてほしい。私の住む幸区鹿島田に震災ガレキのオブジェを並べた memento mori 目的のテーマパークを作ってくれてもよい。多摩川沿いにガレキをムキダシにした堤防を作ってくれてもよい。震災では復興に向けて日本全体で助け合おうと皆が誓ったはずではないか? こんな体たらくでいったい何が「助け合い」なものか。黒岩知事にはこう言ってほしいのだ —「私の政治判断で受入れを決めました。その是非は次の選挙で県民に問います」。これこそが民主主義である。must の事案について,少数派に気を遣うことではない。
 

P.S.

Yahoo! の反対意見をみていると,「ガレキ処理には廃棄物処理・運送業者の利権が渦巻いていて,政府・自治体はそれをアテにしているに違いない,そんなのは許せない」というようなものがあった(概して,想像どおり,Yahoo! 反対意見は,事実を踏まえないだけでなく,他人の痛みのわからない,小賢しい,ふざけた「バカ」意見ばかりである)。これ,「金がかかるからやるな」というのと何も変わらない,ピントの外れた,無責任な,偽善的な正義感ではなかろうか。

注射をしないと死ぬ人間が目の前にいるとき,「その注射は高いからダメだ,もしかすると副作用で死ぬかも知れんし,腹黒い製薬会社を儲けさせていいのか!」などというヤツは,こいつをぶん殴ってでも黙らせるべきである。石原さんは政治家としてそれを即座に認識したんである。反対意見がこんなことを言うバカばかりなら,政府・自治体はホント「無視」すべきである。「石原さんを見習え」— 神奈川県の Twitter に一言いれさせてもらいました。