鬼束ちひろは私の数少ないお気に入りの JPOP。彼女の『This Armor』を引っ張り出して来て聴いた。自分を見失った若者の悲痛な叫び。自信を喪失し(そもそもなかったのかも知れない),偽りの何かで身を包まなければ(そう,This Armor によって身を固めなければ)生きて行けない,嘘くささの自覚。「結局今まで私を裏切って来たのは私」(『シャドウ』)。こういう時代の病んだ心が歌われていて哀しくなる。
『infection』がいちばんのお気に入り。「そしてこの舌に雑草が増えて行く」,「いつの間に私は こんなに弱くなったのだろう」(『infection』)。爆破した心が破片となって飛び散り,そこら中できらきら光っているイメージは,ちょっと大げさかと思わないでもないが,その爆発で己だけでなく他者をも大いに傷つけていたという自覚が,それゆえの「弱さ」の自覚が,ここにはある。この「弱さ」は強さに反転できる — このメッセージが私には痛いほどわかる。ちょうど 10 年前,『This Armor』を聴いたとき,新しい時代の若者の心がわかったような気持ちになったものである。
POPS というのは若者の自由への憧れや非情・不公正な社会への反発などが根底にあるものというのが,私のような古くさい人間のイメージである(もちろん純粋な音楽的楽しみの要素こそが大事なんだけど)。でも現代の JPOP ではそういうものは失われてしまったように私には思われる。育ちのよい清潔な若者のキレイな悩みゴトばかりで,ホントつまらないのだ。「守りたい」ラブソングかカワイイ女子統制ばかりでウンザリなんである(でも,矛盾しているように思われるかも知れないが,私は AKB48 を支持します。それが何か?)。韓国 KPOP,中国 CPOP に模倣された JPOP の姿(パロディに見えてしまう)を目にするにつけ,バカはバカに伝染するという真理を改めて認識させられているといってもよい。でも,時折,鬼束ちひろのようなグサリと刺してくれる歌い手も出て来る。どの世界にもホンモノはいるものである。