勉強不足で問責決議案可決する間に公務員はボーナスアップ

毎日新聞配信ニュースによれば,一川保夫防衛相と山岡賢次国家公安委員長兼消費者担当相に対する問責決議案が今日午後の参院本会議で自民,公明,みんななどの野党の賛成多数で可決された。「一川氏に対しては95年の米海兵隊員による沖縄少女暴行事件について『詳細には知らない』と答弁したことなどを理由として列挙。『もはや素人が防衛大臣であることは許されない』とした」なんだそうである。野党議員先生たちは沖縄のことを何でも熟知しているかのようである。これらの野党議員に,くだんの米海兵隊員容疑者の名前や沖縄の米兵による犯罪の件数,その裁判の判決内容などの「詳細」をぜひ聞いてみたいものである。お前だって知らねぇだろ。民主党の政権担当能力はさておき,野党のこの偽善に満ちたアホらしさはどうしようもない。こういうのをイジメ根性というのである。日本人らしい振る舞い。こんな内容のないことで閣僚人事を左右できるなんてことを認めてはならないのだ。野田総理はこの決議案を無視すべきである。

こんなことをやっているから国会議員=政治家は官僚から有象無象扱いされるのである。国政の事務レベルの推進は官僚の仕事であり,政治家がいなくても進む。事の「詳細」は官僚が熟知しているべきものであり,それに基づいていくつかの方向性を考える。そのうちいずれの途を行くかは,選挙で選ばれた政治家が人間として日本国民の代表としての良識に照らして決断する。ここでは「詳細」に関する政治家の知識は必ずしも最重要の資質ではない。知識よりも智慧・良識が大事なのだ。これが政府の本来の姿だと私は思うのだが,日本ではその決断も官僚がやっているようである。だから官僚は政治家をただの張子だと考える。だからここんな不毛の問責決議案が可決される。このザマを見る限りにおいて,日本の政策実行が官僚の努力だけでなされているのは致し方ないというように見えてしまう。

こんなどさくさの間に,公務員給与削減法案,労働者派遣法改正法案などの今国会での通過が流れてしまっている。それで公務員の今回のボーナスは 10% カットどころか 4.1% の増額とあいなりました。俺たちがケツを叩かれながらいよいよ悲壮な思いで仕事をしても,景気や業績の落ち込みにより,俺たち民間企業のボーナスは大幅カットされていると言うのに(俺のようにまだボーナスが出るのはまだマシな方だ),公務員どもは財政破綻寸前かつ税収は落ち込む一方なのにもかかわらずである。おまけにこいつらは身分が保証されリストラの心配がなく,退職金も一般企業の何倍も貰い,年金だって最高のクラスが保証されている。

こんな僻み根性がいま日本中を渦巻いているはずである。職のないネットカフェ難民の若者,ブラック企業でコキ使われている労働者,派遣業者から人間として扱ってもらえない日雇い,リストラされた中高年,年金の出ない定年退職老人,エトセトラ,エトセトラの怨念が渦巻いているはずである。なのに,その怒りの矛先は,通り魔であったり,児童虐待であったり,2ちゃんねるの悪意の書き込みであったり,そういう方向にしか向けられない。面白い。俺もたくさんの首を切って来たので,このボーナスの時期は後ろから刺されるのではないかと背中が気になるんである。
 

12/10 追記

米国で反格差デモが凄まじい。米国のような国でも官憲とデモ隊が衝突する光景が見られるなんて,反戦デモ以外で私は想像できなかった。「格差」そのものは悪ではない。リオネル・メッシと J リーグのフォワードの所得に天と地の開きが出るのは当然なのだ。それでも,社会の構造的要因により若者が仕事にもつけず衣食住にすら困っているいまこの状況において,一方では,公務員のように,仕事の労力・成果ではなく体制によって守られることに依って,しかも国家・共同体の借金をカタにして,恵まれた経済生活が当たり前のようになっているのをみると,問題にすべき「格差」の姿がハッキリする。アンフェア,不公平ということ。これは,新自由主義によって勝ち組・負け組の分類が流行になり,負け組は「負けた」ことで奈落に落ちる,それは「弱い」自分が悪いので仕方がない,という考えとは少し違う。この過程に身分や体制に基づく不公平があるからこそ,若者が怒るのだ。米国のようなデモが日本でも頻発するのは時間の問題である。

太宰治の何かの短篇に,市役所の担当者が定時ちょっと過ぎに出生届の提出に来た婦人を「もう終わりました」と受付を拒絶するくだりのあるものがある。婦人が事情を聞いてもらえるよう拝むように頼んでも「もう終わりましたから」。どういう理由なのか,この日に出生届を出さなければならなかった婦人は自殺してしまう。彼の義務は定時まで仕事をすることである。それをまっとうしただけだ。彼はその後婦人が自殺したことすら知らない。この不幸のドラマにおいては誰が悪いのか。この公務員は悪くない。しかし「許せない」という感情がムカムカと湧いて出て来るのである。それは,彼が相手の事情や人間性・人格にまったく気遣うことのないルーティン主義の偽善と,そしてその己の偽善に気付いていないシアワセぶりとに対する怒りである。元沖縄防衛局長のレイプ発言も,沖縄県民に対するこれと同じような人間性・人格の無視の現われではないか。

公務員に対するヒガミ,グチは留まるところを知りません。