クリスマスツリー・皆既月蝕・『地獄少女』Vol.7

クリスマスツリーを飾る頃合い。私の書斎の机にも,灯りの付かない使い古しを飾った。今夜は皆既月蝕が綺麗に見えるということで,先ほどベランダに出て眺めた。十五夜の月がぼっと橙色に霞んで欠けた姿は少し禍々しい。

1 年ぶりくらいに,アニメ『地獄少女』を DVD で観た。この作品は,いわゆる「恨み晴らしもの」なんだけど,美人画の伝統を引く美少女・閻魔あいの和装束や,紅葉,菊,彼岸花,蜘蛛の巣など,日本古来の怪異潭の属性を美しく映像化した。そういうところこそが,大正浪漫好きの私なんかに無条件の支持をさせるんである。

今回は Vol. 7。三話収録されているうち,『花嫁人形』がとくに面白かった。日本人形制作の女流老大家・氏家鏡月にその美貌を気に入られ嫁入りした女主人公・氏家祈里は,鏡月から「人形のようにしておれ」と命ぜられ,人間として扱ってもらえず,使用人の監視のもとに行動を著しく制限され,逆らうと仕置きに晒される。鏡月の息子・祈里の夫・幸雄は妻に優しいが,そんな悩みを聞き入れようとしない。絶望にかられて祈里は義母の地獄流しを地獄少女に依頼する。鏡月は地獄に流された。ところが祈里は今度は夫から「きみの心などは必要ではない」と言われ,物語は終わる。

「人形に比べれば人間など,浅はかで醜い外道に過ぎない」と鏡月は言う。現実の人間はくだらない存在で,藝術作品に描かれた姿こそが美しい。このような考えの藝術家は珍しくないのではなかろうか。しかし彼女は,現実の人間を人形のような存在にしたいという倒錯した考えに憑かれたために地獄へ送られる。藝術家の狂気の表現として,いたく面白かった。こういうテーマ論は最近では,アニメに限らず極めて珍しいのではないか。

地獄流しの舟の上で鏡月は閻魔あいに言う:「きれいね。まるでお人形さんみたい。作りたいわ,あなたのようなお人形を。さぞ死装束が似合うでしょうね」。それに対する,あいの冷たいひとこと:「永遠にあの世で作らせて上げる。ただし,モデルはあなた自身の死様よ」。地獄では己を見つめ続けなければならない,というのか。藝術作品のうち,死を美しく連想させるものこそ至上のもの。この藝術観はモダニズム以外の何ものでもない。ああ,私の慰め。
 

地獄少女 7 [DVD]
アニプレックス (2006-07-26)
 

クリスマスツリーと,地獄少女と,皆既月蝕。うちのド安モンのデジカメ CASIO Exilim EX-S12 では,月のまともな撮影はとうてい無理ですな。何か,ユーフォーが飛んでいるようにしか見えません。
 

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