森茉莉『ベスト・オブ・ドッキリチャンネル』

森茉莉の『ベスト・オブ・ドッキリチャンネル』(ちくま文庫,1994 年)を読む。本書は,1903 年生まれの女流作家による 1979〜1985 年の芸能エッセイである。森茉莉は,「あの」大作家・森鷗外の長女であり,... と,ま,こういう「親の七光り」的紋切型が必ず付いて回る不幸な作家である。そして結論から言ってしまえば,本書はその不幸がよくわかる本である。「これがあの森鷗外大先生の娘さん,— いやもう婆さんなんだけど,— の本?」てなもんや。

この本の面白さは皮膚感覚に基づく悪口にある。ここまで己の好き嫌いを徹底し,歯に衣着せず芸能人の悪口を堂々と書く人がいるものだろうか,という驚きだけがじつに新鮮なのである。つまるところ「あいつの顔がキライ」ということを何百頁も滔々と書くことの出来るスゴさ。

本書はきわめて「難解」な本である。何を言っているのか私は一行も理解できなかった。いや,述べられている俳優,芸人,歌手がどうも誉められている,貶されているというのだけはわかるのだけれども,でもどうして?,そういう評が何を(例えば,近年の舞台演劇の特徴とか)意味しているの?,何のために(例えば,時代劇にこれこれの要素はそれ自体の質的低下を招くことを示したいため,とか)その評が必要なの?,などといった要素がまったく示されず,ただ誉められている,貶されているだけだからである。読みを総合しようとする意志がことごとく裏切られるからである。森茉莉の「皮膚感覚」というしかないんである。要するに「あいつの顔がキライ」という生理の叙述なのである。

 タモリが私との対談を望んでいるそうだ。多分,私の年を知っているからだろう。いかに彼が臆面なしでも私が出たばかりの若くて綺麗な小説家(女)だったら,あれだけ気持ちの悪い顔だと書かれていれば,私の前に出て来る勇気があるわけない。タモリの顔が何故気持ち悪いかについてこの際明確書いておく。人間は誰でも顔の皮膚の下に皮下脂肪があるが,タモリの顔の皮下脂肪はひどく黄色くて,普通の人間の皮下脂肪を練りに練って詰めたようなところがある。顔の皮はかなり厚いのにも係らず,その練った皮下脂肪がよく透き徹って見えるのだ。なんともいえぬ感じなので私は,彼の顔が画面に出るや,スイッチを切り換える。
森茉莉『ベスト・オブ・ドッキリチャンネル』ちくま文庫,1994 年,p. 167。

これが小説のような芸術的散文ではなく評論文のような何かを相手に理解させたいテクストであると仮定する場合,こんな難解な文章を私は読んだことがない。何を何のために書いているのか,どうしてそんなことが言えるのか,皆目わからない。そして,昔の作家の特徴である長大なパラグラフが,そうした共有困難な感覚的「エクリチュール」(フランス文学者の好きな,わけのわからない,和臭ぷんぷんの言葉を使わせていただきますが)で満たされているんである。小説テクストと認知できるならばこの言説は「練った皮下脂肪」を「醜い顔」に結びつけることで顔の身体感覚表現ともいうべき印象を「創造する」エクリチュールになるんだろうけれども,ここではタモリという現実的表象が先に出て,書き手の「皮膚感覚」しかインプットされない。強いてここに価値感情のエクリチュールを見出そうとすると,「じつはアンタ,タモリが好きなのね」,ということになるのである。このように「醜い」が「じつは美しい」に化学反応を起こしてくれないと,「文学」じゃねぇよな,と。でも,この文章からでは,それも無理がある。

モリマリさんの評言は徹頭徹尾この調子である。これを「毒舌」という人があるかも知れない。違う。毒舌とは皆が薄々思っていることをぐさりと言うことの謂いである。モリマリさんの悪口は皆どころか彼女だけの皮膚感覚的空想なのだ。気持ちいいくらいである。も一つ行ってみよう。

 チェリッシュの二人は,白石かずことの対談でも言い,かずこも「そうね」と言ったし,前にも一度書いたと思うが,いくら男は柔しいのがよくて,女は可哀いのがいいと言ったって,チェリッシュの男のいやな柔しさと,女の方のいやな可哀らしさは,なんともかんともいえない,いやさである。
同書,p. 300。

これがテクストの全部である。チェリッシュは,ご存知の方もおられようが,男女二人組の歌手である。ま,歌手だって声の技以外に「見た目」も大切なんだけど,ここではその藝については一言も触れられず,理由のよくわからない「柔しさ」とか「可哀らしさ」が出て来たり,またなんで「いやな」それなのかも何も提示がない。これを読んで「なるほどわかった」という人がいたら,スゴい。私には前衛現代詩のように難解である。いや,エクリチュールとして読みとれることが一つある。「白石かずこも私のような人なのよ」ということである。つまり,ここで化学反応の結果出て来るのは,じつは「白石かずこもどうも理解を超えた人である」ということなんである。こういう悪口の書き方もあるのか! おまけに,気難しい現代女流詩人の代表みたいな白石かずことチェリッシュが同じテクストに登場するなんざ,まさに前衛である。この場合,チェリッシュの名が — 巨匠・白石といっしょに言及されているからして — 高められているのだろうか,それとも,白石が — 芸能人ネタでいいの,わるいのブツブツ言っている役回りをさせられて — こきおろされているのだろうか?

解説者のお考えを聞いてみましょう。編者の中野翠氏によるものである。『たしかな好悪の精神』とのタイトル。「たしかな」ってどういう意味だったっけ? 上記のような前衛的難解さの謂いだったのだろうか。これもよくわかりません。「好悪」はまさに「皮膚感覚」ということなんだろう。中野翠氏曰く:

 また,当時の大平正芳首相をけなすのに,
「権勢の保持と利慾にしか頭が働かない人物で,顔と来たら又,農家のおやじで,(今夜は地主どんの家で酒と馳走が出るが,あまり早く行っても物欲しそうじゃから一寸遅れて行こうわい)と言って出かける感じだ」— と,こうである。私自身は大平氏の器量に関していささか違った印象を持っているが,このくだりは,何度読んでも笑ってしまう。異論はあっても,この「悪態の芸術的完成度」には唸ってしまうのだ。
同書,p. 372。

中野氏はやはり前衛がわかる人らしい。「芸術的完成度」だって? 何でもってそれを計量しているのだろうか。突飛な空想が面白いということらしいが,現実に存在している人間を捉まえて為したこんな空想的な物語のどこに「芸術」があるというのか。フィクションで「その感じ」の化学反応を読者にまざまざと起こさせるのが芸術ではないのか。私には週刊誌的低俗(有名人に対して空想を逞しゅうするのは低俗週刊誌のエクリチュールであるからして)としか思われない大平正芳・人物像物語を,中野氏は何故に「芸術」と勘違いできるのか。ま,「戯画」も芸術の一つではあるが,われわれの「大平正芳」の表象に一致しているのが絵のキャプションにある「大平正芳」という文字列に過ぎないとしたら,それは「戯画」だろうか? 中野氏は,私には理解不能の難解な文学がわかる,すばらしい読み手である。

私には本書はその難解ゆえにこそいたく面白かった。週刊誌のゴシップを読む感じで面白かった。そしてこれを「芸術」だと評する文学の専門家がいることが,さらにいたく面白かった。つまり「皮膚感覚」を臆面なく書き散らすことのできる個性と,「芸術」精神とに心底驚かされたのである。私なんかにはこんな難解な文章は,畏れ多くて,つまり,恥ずかしくて,とても書けないんだけど,森茉莉はどうしてそれをできるのか。そこが本書のスゴさである。ちょっと,容姿衰えた大年増女優が映画で大胆なヌードを披露してくれたときに覚えるような,「これ,どう受けとめたらイイの?」テキ驚き・わからなさ・前衛性がある。そう,最近の流行語でいえば,「ドンビキ」するくらいの。

「これがあの森鷗外大先生の娘さん,— いやもう婆さんなんだけど,— の本?」— といま再び考えて,理解出来た。本書は『週刊新潮』に連載されたエッセイである。あの森鷗外大先生の「おフランス至上主義」的令嬢 — いやもう婆さんなんだけど — がなんといかがわしい週刊誌にお書きになったらしいざぁますよ。これが『ベスト・オブ・ドッキリチャンネル』のエクリチュールである。「低俗」もバックにある「権威」によって前衛「芸術」に反転することがあるというエクリチュール。

も一つ,私のホンネとして言うと,これこそ文化人の「老い」がもたらす臆面のなさだと思う。老人が死ぬ前に,他人のことを思いやることなく,いっぺん(てゆうか,何百頁にもわたって休むことなく)思いを吐き出しておきたい,ということだろうと。老人とはそもそも短気で身勝手でワガママではないか(「老いて悠々たり」なんてウソである)。自分の感覚が世界の抱く表象だと思って疑うことがない。つまり子供。古代ギリシアの俚諺に「老人は子供にかえる」というのがあるが,残念ながら至言である。

森茉莉は沢田研二,萩原健一,桃井かおりがお気に入りだったようである。私も映画のなかのこの三人の味が好きである。忍者ハットリ君のファンでもあったらしい。ところで,ジュリー,ショーケンと来りゃ,松田優作についても是非モリマリさんの皮膚感覚の前衛評が聞きたかったところである。パンと牛乳を飲み食いしながら女と性交できる,松田優作のあのぶっとんだ芸風が,私は大好きなんである(「なんじゃこりゃー」なんかよりも遥かに)。お,これこそ森茉莉風,皮膚感覚の松田優作評か。

Post Scriptum

言わずともお察しだと思うが,だから私は森茉莉の『ドッキリチャンネル』が好きなのである。この人,「元祖ブロガー」と言ってもよい。まったく根拠無しに好き勝手なことを言い捨てに出来るブロガー。私自身,大いに親近感を覚えるんである(とてもモリマリさんには適わないけれども)。でも,これで彼女は金を出版社から受け取っていたわけだ。と,むずむずと怒りが込み上げて来るのは私だけか。