十一月の霧と菊の彼方から

十一月ももうおしまい。今年もあと少しとなった。今年を象徴する漢字は何になるのか,興味深いところである。今年はとくにいろいろありました。武満徹の『十一月の霧と菊の彼方から』を聴きながらそれらのことどもをつらつら思い返してみると — この曲自体は,身の引き締まる冷たい抒情で神韻とした気分にしてくれるんだけど —,その彼方から何とも嫌なことばかりが押し寄せて来そうな気分になってしまった。

東日本大震災と福島第一原発事故は,向こう何年・何十年も日本人の心と現実に鬱陶しい影を落とし続けるはずである。世界に目を向けると,チュニジアのジャスミン革命にはじまって民主化デモがネットを通じて中東を席巻し,リビア・カダフィー政権転覆にまで至った。ウサマ・ビン・ラーディンもとうとう暗殺されてしまった。最近では,ギリシアの財政破綻に伴って,もしかするとリーマン・ショックの再来になるかといわれるくらい,ヨーロッパ EU が経済的危機に瀕している。米国も今年限りでイラクから完全撤退する。中東で米国のプレゼンスが失われる前にイスラエルがイランを空爆するのではないかとのキナ臭いウワサもある(Facebook のベラルーシ人による書込みで見たんである)。一方で米国では若者による反格差デモが頻発。日本も明日は我が身という感じである。

不穏なこうした時流にあって,いま何より私が怖いのはベトナム—中国関係である。今年,中国が出来損ないの空母を進水させ,南シナ海,東シナ海でヤクザのような振る舞いをあからさまにするにつけ,中国はわが日本のみならずフィリピンやベトナムとも緊張を高めている。6 月にベトナム海軍が実弾演習をやり,中国が(事実上?)ベトナム沖の海底通信ケーブルを切断し,中越関係がホント危ない。ベトナムは中国との戦争準備のために徴兵制を復活したそうである。米軍も沖縄の戦力をグアムに集めて明らかに中国を苛立たせようとしている(皮肉なことに,これで普天間問題が解決しそうである?)。昨年の尖閣諸島問題の大騒ぎ,今年の南シナ海・東シナ海領海侵犯問題と来て,中国は日本にとって,北朝鮮と同様,いまやはっきりとした仮想敵国である。今般の相次ぐサイバー攻撃。経済的友好関係はもうちょっとしたことで吹き飛んでしまいかねない。

ベトナムは伝統的に中国を憎悪している。日本の若者も嫌中派が多いがそれはだいたいにおいて自己満足的潔癖性から来ている(要するに,自称「先進国」に住む仕事のないナイーブなヒマ人だから)に過ぎないのに対し,ベトナム人の中国人憎悪は歴史的に染み付いた皮膚感覚であって,その凄まじさは日本人の想像を遥かに超えている。歴史的にこの北方の大国から常に痛い目に遇わされて来たからである。一方で,ベトナムは,小国であるにもかかわらず,第二次大戦後,フランス,アメリカを敵に回してもへこたれなかった偉大な国である。中国とも中越戦争で戦って負けなかった。国民の 70% が 30 歳以下という,羨ましいくらいに若いこの国は,経済力を蓄え,米国,日本と協調関係を深めたいま,いちばん中国と火花を散らしそうな気配がある。そこへもって,TPP。日本が参加を表明した TPP は中国包囲網・ブロック経済圏と言われている。ベトナムも国内の激しい賛否を経たあとで昨年 TPP に参加を表明し,共産国なのに,中国よりも米国を経済的パートナーとして選択したわけである。最近の報道によれば,来年ロシアと二国間 FTA を結んでロシアとも仲良くやろうとしている。こうした状況(何も決められない日本とは違い,何とも羨ましくなるくらい動きの素早い政府である)は,ベトナムが米国,ロシア,日本という後ろ盾をもって中国と対峙しようとしていることを明らかに示している。ベトナムと中国が軍事衝突したら — 海洋覇権が係っている以上,日米は黙ってはおれないはずである。恐ろしいことが間違いなく起こる。来年,米国,ロシア,韓国で大統領選挙があり,中国では国家主席が交代し,北朝鮮は金日成生誕百周年を迎える。2012 はそうしたイベント年でもあり,悪い花火も打ち上がりそうである。私はいま怖くてしかたがない。

でも,こういう最悪のことがらだけでなく,国内外の暗い情勢のなかでも痺れるくらい嬉しいこともありました。サッカー女子日本代表なでしこジャパンの W 杯優勝ですよ。サッカーというワールドクラスのスポーツにおいて日本のナショナルチームが世界を制覇するなんて,幼い頃,1970 年代からサッカーを見て来た私のような日本人は,おそらく自分が生きているうちに見ることは適わないだろうと思っていたはずである。この快挙は,被災地のみならず日本全国に,諦めないという心意気の大切さを痛感させてくれたのではないだろうか。

で,今年を象徴する漢字は? 難しい。もう少し考えよう。
 

武満徹 室内楽作品集成1
清水高師 (Vln), 小賀野久美 (Pf),
上村昇 (Vlc), 藤井一興 (Pf),
アルディッティ弦楽四重奏団
フォンテック (2005-04-21)
 

11.29 付記

大震災やら心を揺るがす事件やらで,今年は「震」かとも思ったのだけれども,これは神戸の震災があった 1995 年の「今年の漢字」になっている。繰返しは何とも東北大震災のインパクトを弱めてしまうように思われる。うーむ。「激」かな。今年ほど日本人としてのプライドを感じた年も少ないので,「絆」というのもありかな。

いずれにせよ,『今年の漢字』は 12 月 12 日に清水寺で発表される。