Kurt Weill, Arnold Schönberg - Lieder

Dmitri Smirnov による芭蕉句ロシア語翻訳のための註解作業をしながら,クルト・ワイルとアーノルト・シェーンベルクの声楽を聴いた。フランスのシャンソンのあとは,ドイツの 20 世紀のリートが聴きたくなったのである。どちらも大学のころから聴いて来たアナログ・レコードである。

1982 年に米国ノンサッチ・レーベルから出たクルト・ワイル歌曲集 "The Unkown Kurt Weill"(『知られざるクルト・ワイル』)は 1920 – 40 年代に作曲された 14 の歌曲を収録している。ソプラノは,ベルクのオペラ『ルル』などのエキセントリックな役所で一級の演技を披露した歌手,テレサ・ストラータスである。

ワイルは,なによりベルトルト・ブレヒトと組んだ音楽劇『三文オペラ』(1928 年)で有名である。クラシック音楽の作曲家というよりも,ミュージカルや大衆的歌曲こそが本領であった。もちろんチェロ・ソナタなどの佳作も残している。1930 年代を生きた優れたユダヤ人藝術家の運命の多くの例に漏れず,彼も 1933 年パリに亡命,その後米国に渡り 1950 年ニューヨークで没した。

この歌曲集のレコードは,「クラシック音楽」のジャンル付けをされているけれども,大衆音楽というほうがよい。第一次大戦による荒廃,共産主義と民族主義との闘争,ナチスの台頭という騒擾時代の,一般大衆の手の届く音楽。思うに,20 世紀音楽の大きな特徴は,高級なクラシック音楽と大衆音楽との境界が著しく掻き乱されたところにあり,クルト・ワイルはちょうど両者を激しく往来した作曲家である。「正直に言うわ,あの夜 あたしは進んであなたに身をまかせた [...] わたしの顔を見て,ねえ見てってば!」(ワルター・メーリング詞『もうあとどれだけ?』)のような壊れた愛のラブソングあり,「俺が食卓で坐ってミートボールを食っていると 突然ノックの音がした [...] そとに立ってたのは誰だと思う? 俺だ,俺だ,この俺だったよ」(ベルリン民謡『ミートボールの歌』。言わずともわかるだろうけど,ミートボールってのはキンタマのことである)のような笑劇的怪奇民謡あり,「セーヌの川底には金が沈んでいる,[...] セーヌの川底には死が横たわっている......」(モーリス・マーグル詞『セーヌ河哀歌』)のような都市文明の慨嘆あり,大衆的趣味とともに鋭い時代批判精神も認められる。声もベルカントというよりも,絶叫まで繰り出して来て音楽劇に近い趣きがあり,新しいリートの試みともいえるんである。このどこかガサツさ漂う大衆性が私には堪らない魅力なのである。

第一曲目の『ナナの歌』はブレヒトの作詞。ワイルはこの曲を妻・レーニャへのクリスマス・プレゼントとして書いたそうである。

紳士の皆さん,私は十七の時
愛を売る市場に出るようになり
そこからいろんな経験を積みました
悪いことも沢山知ったけど
それはみんなゲームだったわ


それにしても,妻への捧げものが娼婦の歌だなんて,ワイルは相当にこだわりのない人だったようである。
 

Unknown Songs
T. Stratas (Soprano)
R. Woitach (Pf)
Nonesuch (1995-11-10)
 

シェーンベルクの『月に憑かれたピエロ』は,20 世紀音楽の傑作のひとつに数えられている。声楽パートは「シュプレッヒシュティンメ」というしゃべるような歌唱によって歌われる。アルベール・ジローによる夜の狂気と死臭に満ちた歌詞と相俟って,第一次世界大戦前後の頽廃的時代の最高の音楽的表現になっている。このドイツ表現主義と言われる藝術思潮は,思うに,世紀末の耽美的ロマン趣味が戦争の銃弾に打ち抜かれ火傷を負い,その傷が腐敗したような病んだ姿をした,そんな頽廃である。これこそが現代人に相応しい頽廃である。

今日はイヴォンヌ・ミントンのシュプレッヒシュティンメ,ピエール・ブレーズの指揮,ピンカス・ズーカーマン,ダニエル・バレンボイムほかの名手たちによる盤を聴いた。これは,流れるように麗しく,端正な造形で,この曲の名盤のひとつになっていると思う。一方でドイツ表現主義の腐ったような頽廃の味は少し殺がれている。こちらの味を求めたい方には,ヘルガ・ピラルツィクの朗唱とドメーヌ・ミュジカル・アンサンブルの演奏による盤を強くお勧めする。ベルリンの場末のキャバレーで娼婦に,耳元で卑猥な冗談を囁かれ,耳を咬まれる,そんな気分に浸ることが出来る。もう廃盤のはずなので,中古レコード屋で探してください。
 

Schoenberg: Pierrot lunaire - Lied der Waldtaube
J. Norman, I. Minton (Soprano)
P. Boulez (Dir), BBC, et al
Sony (1993-07-15)
 

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