はやく人間になりたい!

今日会社から早めに家に帰ると,子供たちがテレビを観ていた。『妖怪人間ベム』がいま実写で放映されているんである。私は,小学校に上がるか上がらないかの幼いころ,この元になったアニメを恐怖に駆られながら毎回観ていたものである。

アニメ『妖怪人間ベム』のテーマは明らかに「差別とは何か」であった。見た目に妖怪であろうが何であろうが,正しいことをするものを弾圧してよいものか。妖怪ベム・ベラ・ベロは人間以上に人間らしい心で困っている人たちを助けて,彼らから感謝される。ところが妖怪であることが判明した瞬間に,掌を返すように人間たちから疎外されてしまう。この不当な永遠の壁はいったい何か。子供心にもこの問題論はハッキリと認識できたのである。「はやく人間になりたい!」という意味が — 人間こそが人間らしくないというアイロニーとして — 切実に理解できたのである。『妖怪人間ベム』はそんな硬派のアニメであった。『ウルトラセブン』もそうだったが,1960 年代末の子供向け空想ドラマには,いま観るとドキリとする批判精神があった。いまの子供は『お坊ちゃまくん』などのレベルの低い下ネタものに晒されていて可哀相になる。

実写版では,ハゲだったはずのベムがイケメン男子(KAT-TUN の亀梨くん)になっていた。それよりも何よりも,ベラを演じているのがなんと杏。アニメのベラは,『夜の女王のアリア』を歌い出しそうな,面妖なアネゴだったのに。こんな美貌の妖怪ならフツーの人間よりもウェルカムぢや。これじゃ,「はやく妖怪になりたい!」てなもんや。

と,テレビを観ながら物理を勉強していたウチのバカ娘が「お父さん,いいでしょ!」とマトリョーシカを手に持っている。同じ高校の仲良しの女の子がアルメニアの土産に買って来てくれたんだそうである。アルメニアは昔ソ連の一部だったのでロシアの文物も豊富である。「いいねぇ,フェースブックに載せて上げよう」とデジカメで写真を撮った。オヤジは内心,マトリョーシカも好いけどな,アルメニア土産なら絶品のコニャック『アララート』がよかったな,などと独り言。アララートは,そう,ノアの箱舟が洪水を乗り切って到着した山である。アルメニアの地なんである。

娘のその友人は母親がアルメニア人である。アルメニアといえば,グルジアとともに,コーカサスくんだりの美人産出地域である(残念ながら,アルメニアとグルジアは昔から熾烈な民族紛争を繰り広げている)。さぞ美人なんだろうなと,娘に言うと曰く「うん,お母さんの昔の写真見せてもらったけど,すごい美人」。友人家族は親戚の結婚式のためにしばらくアルメニアに里帰りをしていたそうである。友人の女の子は当然一週間ばかり学校をお休み。今週から娘の学校は試験がはじまる。そういう大事な時期でも家族のイベントをより大切にするのは,日本では忘れ去られているのではないだろうか。アルメニアの人たちは日本人よりも家族を大切にしているんだろうな。一族のイベントよりも試験なんかを重要視する日本人の価値観には,行く先の不幸が見える,というものだろう。
 

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