佐藤優『はじめての宗教論』

佐藤優は目下のジャーナリズムの寵児である。彼は元外務省分析官で,もっぱらロシア外交に携わり鈴木宗男とともに北方領土問題の解決に尽力した。それよりもなによりも,彼は 2002 年に背任容疑で逮捕され,先頃有罪が確定した人として世間に知られている。佐藤優は,本を読まずにテレビばかり観ている人にはただの「犯罪者」でしかないが,マスコミ報道に疑問を持つ者,世界を理解しようとするにまずは書籍を頼む者にとっては,日本人に数少ない最高の行動的知識人のひとりである。

私はかつて彼の『国家の罠』,『自壊する帝国』について記事を書いた。宗教論について書かれた『はじめての宗教論』二冊(右巻:2009,左巻:2011)こそ,思うに,佐藤の人となりの深いところを示し,かつその人間精神のあり方でもって感動を与える書物になっている。私は 2009 年末に右巻が出版されてすぐ読んだ。左巻がその後なかなか出て来ないので,どうしたのかと思っていたら今年の 1 月にようやく出た。ちょっと思うところがあり,遅まきながら本書をここでも取上げたい。

宗教論のみならず,佐藤の哲学・文学についての言説の特徴は,これらが生きて行く上で「役に立つ」ということを誰憚りなく主張し,現代の日本・世界の政治情勢の分析において具体的に適用している点である。私は大学でロシア文学を専攻した。これについては自分が世の中の余計者の系譜にあると自認している。卒業後は喰うために情報処理技術者となった。仕事は他人と生活との役に立つ社会的行動(公),文学はまったく役に立たない,他人の知らない私の内面世界(私) — こういう相互関係のない公私の割り切りをして来た。文学のブの字も出ない職場に 20 年以上いるとこうなる。世の中には人文科学を無用の長物と見下すバカがゴマンといる。よってもって,文学・哲学・宗教学について「役に立つ」などと人前で本気で語る人をはじめて見て,非常に驚いたのである。

本書は「見えない世界」について考察する宗教学が何故に生き続けているのか,それが現代においてどういう意味を持つのかを,「学」としての基礎知識とともに,示してくれる。彼の宗旨であるプロテスタント神学の観点からという前置きがあるにせよ,これによって,「見えない世界」を見えるようにするための基礎訓練とでもいうような仕上がりになっている。右巻は,宗教と人間社会・政治・国家との関わり,罪,霊魂の問題について,左巻は,宗教とナショナリズムについて述べている。

本書で私がもっとも感銘を受けたのが「道徳」と「倫理」の問題である。「殺す勿れ」は道徳の範疇である。末期ガンで苦しむ患者を,もはや尽くす手がなくなったとき安楽死させるべきかどうかについて悩むとき,人は倫理の問題に踏み込む。「殺す勿れ」の道徳はこういう当の抜差しならない状況において問題解決の役に立たない。道徳は善悪の一般的基準である。そして,倫理とは個別具体的な状況での決断である,というようなことが書かれている。私はそこで述べられたエピソードにいたく感銘を受けたので,長文ではあるが引用しておきたい。

 こんな例があります。私はかつてロシアで外交官として大使館に勤務するかたわら,週一回,モスクワ国立大学哲学部宗教史宗教哲学科(旧科学的無神論学科)で宗教論の講義をしていました。あるとき,アフガニスタンへの従軍経験がある学生アルベルト君から,次のような質問を受けたことがあります。
「アフガニスタンのゲリラにソ連兵が捕まると,目をくりぬかれ,鼻をそぎ落とされ,両手両足を切り取られ,芋虫のようにされて放置され,殺されます。山岳部でソ連兵がゲリラに拘束されそうになり,救出できる見込みがないときには武装ヘリコプターを飛ばして,友軍傷兵を皆殺しにしました。それが戦友を苦しみから救う唯一の手段だと思ったからです。サトウ先生,キリスト教神学倫理の立場からこの対応は正しいと言えますか?」
 アルベルト君は私を困らせようとしてこの質問をしたわけではありません。この質問に対して,「アフガニスタンに侵攻したソ連軍が悪い」と非難しても問題の解決にはなりません。アルベルト君は自ら手を上げてアフガニスタンへ行ったのではなく,徴兵されて戦地に送られたに過ぎないからです。ソ連がアフガニスタンから撤退した後,帰還兵には大学の特別枠が設けられ,アルベルト君は戦場での体験を心の中で整理するために宗教を学ぶことにしたのだといいます。
 私は「戦友をヘリコプターで射殺したのは状況倫理として認められる」と答えた上で,こう質問しました。
「その後,君たちは何をやったのか」
「ソ連兵を拘束しようとした者がいた村に掃討作戦を行いました」[ 後略 ]
佐藤優『はじめての宗教論』右巻,NHK 出版,2009, pp. 243-4。

「殺す勿れ」は原則であるが,個別具体的状況に直面すると苦しい決断の果てに「殺さなければならないときがある」。これが正しいかどうかはわからない。「倫理として認められる」のみである。しかし,ここには「道徳」と「倫理」について誠実に考える姿がある。タローとジローを生きたまま地獄の南極に置き去りにした『南極物語』の隊員の行動は正しかったのだろうか。そもそもこの処置は悩み抜いた末の「決断」だったのだろうか? しばらくして隊員が南極を再度訪れたとき信じられないことにタローとジローが生きていた,ということに感動の焦点を置くわれわれ日本人は,この観点が欠如しているのではないか。これが「優しい日本人」ということなのだろうか? おそらく『南極物語』を「美談」と捉えるのは,日本人だけではないだろうか。

政治学者・丸山眞男は,福沢諭吉を高く評価し,ある既成観念に応じた判断(福沢の言う「惑溺」)ではなく,具体的事案の状況に即してその都度善し悪しを評価し次の行動を決して行く動的な態度を主張した。佐藤優の「道徳」と「倫理」の問題は,丸山の「既成観念に応じた判断」と「状況に即した動的態度」との関係に似ている。いずれにせよ,私は一般論(道徳,既成観念)にしがみつく奴の言うことは信じないことにしている。個別的事情の凝視とその都度の動的判断 — 丸山と佐藤の教えるところだと思っている。

佐藤はこの倫理の問題から多様性と寛容の立場を抽象して来る。

個別的な出来事には必ず差異があります。そこで,自分とは異なるものをいかに認めるかという,寛容・非寛容の問題とつながってくるわけです。類型的な見方とは多元主義なので,必然的に寛容性が出てくる。それに対して,具体的な実体から離れたところに抽象的な絶対の真理を立てることはキリスト教では禁じられています。絶対の真理は神にしか立てられません。
同書, p. 245。

世の中にはいろんな考え方があり(多様性),場合によっては鋭く対立し共存が相容れないように思われることがある。それでも,お互いを尊重し(寛容性),「正しい/正しくない」に固執せず(何故ならその絶対的真理は「神のみぞ知る」だからだ),「個別倫理として認める」姿勢が必要だ — と佐藤は述べているのである。日本人は「二分法」的(「売国奴」かそうでないか云々というような)あるいは,個的特性を全体に適用する「十把一絡・一事が万事」的(ある韓国人によるレイプ殺人報道をみて韓国人全体が性嗜好の欠陥を持っているとするような)超絶論理学を主張する奴があまりに多い。そういう意味で,ユニバーサルな(グローバルではない)立場をリベラリズムではなく宗教論に基づいて説いてくれる佐藤のような知識人は,たいへん奇特な存在である。
 

* * *

TPP 問題がいま大きく取上げられ,民主党,自民党のそれぞれの党内でも統一的立場を決めかねている。JA など農業関連団体はモーレツに反対運動を繰り広げている。極めて考え深い韓国政府は,あらゆる製品において制限が撤廃されるであろう TPP を嫌って,保護すべき製品を除外できる余地のある米韓 FTA に踏み切ろうとしている。もし韓国が米韓 FTA を批准したとしたら,日本は米国との貿易において決定的に韓国に敗北し,日本製品の国際競争力はさらに角度を増して低下するのは目に見えている。ここで,日本は大きな決断を迫られている。日米安保条約批准と同じくらいの。菅首相が「第二の開国」と評したのも充分納得できる,それくらいのインパクトがある。野田首相は TPP 参加に前向きである。

この状況に対して,佐藤優はラジオで面白いことを言っていた。TPP は中国包囲網としての環太平洋諸国による「経済ブロック」の実現であるというのだ。なぜなら,自由貿易の枠組み自体は WTO というものがすでにあり,それに各国が準拠してゆけばよいからである。またぞろわざわざ自由貿易圏を環太平洋諸国間で作ろうというのには,ブロック経済という帝国主義的思惑がある。これで中国を圏外に追い出して貿易の国益を中国以外の国々で山分けしようという魂胆。野田首相の前向き発言のおかげで,プーチンが同じ中国包囲網であるユーラシア経済圏をぶち上げた,北朝鮮が中国偏重をやめロシアに目を向けるとともに日本にラブコールを送りはじめた,という佐藤の指摘は意味深長である。へえ,というしかない。こんな見方があるんだと感心した。日米安保条約が軍事的安全保障上の戦略だとすれば,TPP は米国との経済的同盟関係,つまり保護主義的にツルむということ。日本国民は関税の掛かった中国製品と,無関税の安い米国製品とでどちらを買うか。米国国民は関税の掛かった中国製品と,無関税で比較的安くなった質の高い日本製品とでどちらを買うか。少なくとも中国製品の魅力はいまよりも確実に低下する。

TPP で関税のみならず資本・人的資源の往来も自由化されれば,競争力の弱い産業はたちどころに壊滅するのは当たり前である。その筆頭である農業団体はもとより,外国資本・労働者がより日本に入って来やすくなるとして,排外主義的右翼は猛反発している。医療サービスそのものも対象になるとなると既得権益を確保できなくなるので,医療団体も猛反対している。しかし,この経済圏から日本が締め出されたら,これこそ日本全体の首が締まる。私個人は TPP に前向きな野田総理を支持します。ま,例によって小田原評定の政府だから,当分は決まらないだろう。こうして日本の国際競争力は知らないうちにいつの間にやら「お前はもう死んでいる」ということになりそうである。