ジョブズ氏逝く・小沢裁判

今日の朝日夕刊の一面は,「小沢裁判・全面否認」と「アップル創業者スティーブ・ジョブズ氏死去」の記事だった。

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スティーブ・ジョブズは,マイクロソフトのビル・ゲイツと並んで,パーソナル・コンピュータ業界の偉大なカリスマである。ゼロックス・パロアルト研究所やベル研究所,カリフォルニア大学バークレー,マサチューセッツ工科大学の研究成果をいただくことと,M & A による領土拡張とによる商売の大成功。お互いに憎み合いしのぎを削るマイクロソフトとアップルはどちらもこうした共通点がある。彼らの実業家センスは現代アメリカン・ドリームの象徴である。Windows は,コンピュータについては何も知らない人が使うパソコンに,頼まなくても搭載されているオペレーティング・システムとして世界を席巻している。一方,ジョブズのアップル・マッキントッシュにはアンチ Windows の熱狂的なファンがいる。かつて,ド素人向け「PC」(IBM-PC/AT の略)用という Microsoft Windows のイメージに対し,Apple Mac OS は QuarkXPress 全盛を受けて DTP オペレータやデザイナといったプロフェショナル・クリエイタ御用達の「おしゃれ」なイメージがあった。「少数派」ってわけである。ご存知の通りアップルはその後 iPod を世に出して,ソニーのウォークマンを駆逐し,レコード業界を窮地に陥れた。コンピュータが音楽を滅ぼす時代を作った。社名の示す通り,禁断の林檎を食わせた。いいことである。

私も Mac を使っているけれども,「おしゃれ」を自称する一般のマックファンのような思い入れはまったくない。Windows も会社でありがたく使わせてもらっている。品質では悪名高い Windows 以上にバグが多い,そしてなかなか訂正されない,というのが,私の Mac に対する不満である(アップルがこれであんまり叩かれないのは,「少数派」の熱狂的サポータに支えられているからである)。UNIX として使用できなおかつ Adobe の Photoshop, Illustrator が動くマシン,— もっと正確にいうと — LaTeX でヒラギノフォントが使えるマシン,ということが,私の Mac を使う一番の,— もっと正確にいうと,唯一の — 理由である。ん,ジョブズ氏死去と何の関係があるって? 私とジョブズ氏とは,本来,何の関係もありません。

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小沢さんの裁判は,検察審査会(=「正義感」だけの何もわからない素人)が密室で決めた「強制起訴」決議に基づく(ということは,検察がこれら 11 人の怒れるアマチュア集団を言葉巧みに誘導したんでしょうな)。先日彼の子分たちの一審有罪が宣告されたばかりである。この二つの「裁判」はいったい何の何処に犯罪性があるのかさっぱりわからない — だから「説明責任」で騒がしい — のだけれど,世の中は「金権巨悪を裁け」のような扱いである。

小沢さんは,「僕が悪かった」以外は何を言おうが「説明」と捉えてもらえない「説明責任」という,メビウスの輪のように循環する衆愚的虐待に苛まれている。朝日は書いている:「小沢氏が起訴された背景には,説明不足に対する国民の不信感があるのは間違いない」。でも,身に覚えのない罪を着せられた人は,普通,「説明」のしようがないのではあるまいか。この記事が述べていることは,すなわち,日本という国は不信感で人が起訴されうる国だということである。これを改めて認識しよう。収賄の事実がまったく出ていないのにもかかわらず,生身の人間(たとえ政治家であろうと)を「説明不足に対する国民の不信感」ゆえに被告席に立たせているこの異常な事態を,朝日はなぜ問題視しないのか? この信じられない立件と強制起訴のおかげで,関係者は皆,三流週刊誌やバカ・ネット住民によって,普通の精神の持ち主なら死にたくなるであろうほどに,誹謗中傷され,人格を否定されているのである。

マスコミのレベルは国民の品性を象徴するものだと私は思っている。いま私は自称先進国・日本という国がまったく理解できない。