川崎八丁畷・芭蕉句碑散歩

金木犀がほのかに香って本当に秋らしくなった。妻と散歩に出た。今日は,かねてから一度行こうと思っていた,川崎の芭蕉句碑を見に行った。7, 8 キロもあるだろうか,京急八丁畷駅近くまで自宅から歩いた。句碑のある場所がわからなかったのだが,出かける前に句碑の住所を Google マップで検索して,ストリートビューでそのものずばりを確認できた。便利な世の中である。
 

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麦の穂を便りにつかむ別れかな。芭蕉が元禄七年(1694 年),つまり大阪で客死することになる旅路において,川崎宿場を出立する際に,見送る弟子たちの別離句に和した詠である。なんでこんな凄い句をとっさに詠めるのか。「便りにつかむ」— しびれるような把握である。句碑そのものは,ここから少し南東にある棒鼻というヘンな地名の場所に文政十三年(1830 年)俳人一種によって建立されたものが,のちに現在地に移されたもの,との由であった。

古文書・草書体を大学の国文学演習で修めた妻が,碑に刻印された文字を判読して,左から二行目は「麦の穂を」,三行目は「たよりにつかむ」,そして一行目は「わかれ」と読める,と教えてくれた。句を書き下す順番が面白い。「『かな』はどこいっちゃったのかしら,右端の文字は読めないなあ」。もしかすると「かな」みたいな切れ字は書かなくてもわかるというきまりがあったのかも知れない。帰宅してからネットを漁ったところ,右端の文字はどうも「翁」らしい。芭蕉翁。
 

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芭蕉句碑は京急の電車がガンガン走る線路脇にあった。屋根もお地蔵様の祠もあり,花壇の手入れも行き届いていて,顧客先ビル近くで出張の途中に見た,八丁堀亀島橋袂にある芭蕉句碑(「菊の花咲くや石屋の石の間」)とは大違いであった。サルビアの花が咲いていた。句碑の建屋にすぐ隣接して床屋があり,デカデカと散髪代の看板が目につくのが,なんとも日常のなかに溶け込んでいるようで面白かった。床屋を覗くと競馬のテレビ中継画面が見えた。これぞ川崎。

帰路,句碑の前の道を真っ直ぐ川崎駅方面に歩くと,堀之内と並ぶ川崎の色街・南町に出た。この界隈にはラブホテルやソープランド,ストリップ劇場などが密集している。古びた2階建てスナックの連なりには,昔のちょんの間飲み屋(1階で酒を呑ませ2階で女が体を売った)の名残がいやになるくらい強烈に感じられる。芭蕉も,東海道中,堀之内ないしこの南町あたりで遊んだのだろうか。銀柳街でお茶してからダイスで買い物をし,バスで帰宅した。
 

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帰宅してしばらくしたら,娘が沖縄修学旅行の打ち上げ会から帰って来た。娘は沖縄土産として,沖縄名物・紅芋ちんすこうのほかに,『子宝 ちんこすこう』なる下品な名前のお菓子も買って帰った。ペニスの形をしたちんすこう。まったく! お坊ちゃまくん的低レベルの発想。「ちんことわざカルタ入り!」とも。そのカードには「も — 元のちんこに納まる」とあった。元の鞘に納まる,の捩り。元カレとよりを戻すってことか? ん,「元の鞘」って元カノのおまXXのことだったのか!?