J. S. Bach - Das Wohltemperierte Clavier, Teil I & II

お休みの今日,バッハの平均律クラヴィーア曲集を第一巻,第二巻全 48 曲通して聴いた。この曲の私のお気に入りの盤は,何といってもロシアのピアニスト,スヴャトスラフ・リヒテルのピアノ演奏によるもので,普段はもっぱらこちらばかりなんであるが,今日はケネス・ギルバートによるチェンバロ演奏,1984 年・独 Archiv Produktion から出た Das Wohltemperierte Clavier, Teil I & II, BWV 846 - 893, Präludien und Fugen を久しぶりに再生した。

チェンバロ盤はグスタフ・レオンハルト,鈴木雅明,ケネス・ギルバートの録音を取っ替え引っ替え聴いている。いずれもお気に入りなんだけど,ギルバートの盤は,音響の粒立ち,広がりのよい録音と,確かな技量に支えられたクセのない演奏とで,飽きが来ない。オーソドックスな演奏だと思う。清々しい朝に華やかに鳴らしても,深夜に音量を絞って耳を傾けても,満ち足りた独りだけの贅沢な時間を過ごすことが出来る。

私にとってバッハの平均律はこれまでの人生でもっとも大切な音楽の筆頭である。ハ長調からはじまって半音ずつ主音を上げつつ長・短それぞれの調性で前奏曲とフーガを織りなし,12 音・長短調の全 24 曲かけて一巡りして円環が閉じられるとき,何か壮大な世界が完結する。キリスト者が苦悩のなか聖書の一節を顧みるように,自分の人生のある時点の境遇・気分にぴったり嵌る曲をこの曲集のなかに見つけるのが,私の精神的習慣になっている。

普段はレディ・ガガや Acid Black Cherry などの米国 POPS,JPOP ばかりに夢中で「クラシック音楽は退屈」と言って憚らないウチの娘も,私の影響からか,バッハだけは別格で,バッハの平均律を聞くと「神のいる宇宙の広がり」を想像してしまうらしい。第一巻の楽譜を買い与えてやったら,24 番ロ短調 BWV 869 を結構真面目に練習していた。でもきちんと弾けるようになる前に,受験,バレーボールその他もろもろの理由で,残念ながら,さらうのをやめてしまった。「音符の数はスカスカなのに何でこんなに難しいの?」— 「バッハは複数の旋律線が別々に聞こえて来ないとまったく何が何やらわからないんだよ」— 確かに娘にバッハの平均律は何十年か早かった。それでも,まったくヘタクソでも,娘があの瞑想的なプレリュードを弾くのを耳にしたときは,なんとも言えない感慨を覚えたのである。
 

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ギルバート演奏の私の所有するレコードは,東京に出たてのころ秋葉原・石丸電気で見つけた輸入盤 CD 4 枚組。この盤をアマゾンで探してみたが見当たらなかった。多分これが再発盤と思われるもののリンクを設置しておきます。
 

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