総書記登場にキジが合唱 — あるいは,神話の創造

時事通信が『『総書記登場にキジが合唱』=権威付けに超常現象動員—北朝鮮』なるニュースを報じていた。短いので全文を引用する。

 【ソウル時事】「将軍様が登場すると数十羽のキジが合唱を始めた」—。北朝鮮の祖国平和統一委員会のウェブサイト「わが民族同士」は14日,金正日労働党総書記に関する神秘的な逸話の数々を紹介した。故金日成主席生誕100周年の来年を前に,金総書記の権威を高めようと,超常現象まで持ち出した形だ。
 同サイトによると,金総書記がある軍部隊に到着するとキジが総書記の乗った車の方を向いて一斉に鳴き始め,万歳の叫び声のようだったという。
 金総書記が別の部隊を訪れた際の逸話では「それまで咲かなかったバラの花が,その朝数え切れないほど開き,辺りを深いバラの香りで満たした」と伝えた。
2011/9/14 付 時事通信配信

これを読んでどう思うか。「超常現象動員」という文言から,記者の侮蔑が込められているのは明らかである。国家神話的一体感を喪失した現代日本人による,この記事についた Yahoo! コメントも,「国全体が狂っている!」という — 想像通りの — ものである。拉致問題を巡る敵愾心とテレビや新聞が描いたイメージとからだけで「狂っている」と断言してしまう Yahoo! コメンターの北朝鮮観(狂った国家のイメージ)が,日本では支配的ではないだろうか。このバーチャルな(北朝鮮に行ったこともなく北朝鮮国民の誰とも付き合ったことのないにもかかわらず「狂っている」と極め付けられるのは,仮想現実に生きているとしか思われない)世界観と,「超常現象動員」までなす北朝鮮とで,どちらが「狂っている」のか。私には判断できない。

しかしながら,私はというと,これ,昔の日本人のメンタリティとまったく同じだと懐かしさを覚えるくらいなんである。あの,「万世一系の天皇は生ける神である。天皇陛下,ばんざーい!」である。戦前の日本人は,軍国主義と神的存在の崇拝とにおいて,欧米から「狂っている」と思われていた。つまり,構造的に現代の北朝鮮とまったく同じである。戦前の日本では学校の教室に天皇・皇后両陛下の御真影が飾られていた。現代の北朝鮮とまったく同じである。現代日本人だって,われわれの祖父より上の世代が「狂って」いたとは思わないはずである。つまり,北朝鮮国民は「狂って」なんかいない,北朝鮮政府がわが国のかつての皇国観を模倣しているだけだ,というのが私の印象である。私はじつは時事通信が伝える北朝鮮のメンタリティに心情的に共感しているのである。

そして皇室神化を支える瑞兆への期待感。ごく最近でも,秋篠宮悠仁親王殿下の御誕生とセットで黄色のビワコオオナマズのニュースが伝えられた。時事通信の伝える北朝鮮と本質的に同じである。珍しい禽獣の瑞兆は日本でも神話の定番である。『日本書紀』卷二十五 — 孝徳天皇の記述には,奇しくもこの記事と同じく,白い雉の瑞兆の有名な挿話がある:

白雉元年 [ ... ] 二月の庚午の朔戊寅に,穴戸國司 [ あなとのくにのみこともち ] 草壁連醜經 [ くさかべのむらじしこぶ ],白雉獻りて曰さく,「國造首が同族贄,正月の九日に,麻山 [ をのやま ] にして獲たり」とまうす。[ ... ] 僧旻 [ みん ] 法師曰さく,「此休祥 [ よきさが ] と謂ひて,希物とするに足れり。伏して聞く,王者四表に蒡 [ あまね ] く流 [ ほどこ ] るときは,白雉見ゆ。[ ... ] 又,晉の武帝の咸寧元年に,松滋に見ゆ。是休祥なり。天下に赦すべし」とまうす。是に白雉を以て,園に放たしむ。
『日本書紀』下,岩波古典文学大系,1965 年,pp. 312-3。

「草壁連醜經が白雉を奉った。僧の旻の言うには,『これは瑞兆だ,王者の徳が四方に行き渡ると白い雉が現われると聞く。中国でも例がある。天下に罪を許されるがよい』」というのがこのくだりの大意である。ここで描かれた孝徳天皇の治世とそれに続く時代は,国内では大化改新という一大政変があり,国外では朝鮮半島において新羅,高句麗,百済の三国が覇権を争い,日本も白村江に出兵して敗れるという,軍事的・国際的に極めて緊張した時代だった。そういう時代に白雉なる瑞兆が触れられていることが,逆に何とも不気味な劇的性格を醸し出す。

時事通信のニュースは,私のなかで,— ぶっとんだ想像かも知れないが,— この『日本書紀』の雉の神話的表象と重なってしまった。これは来年金日成生誕 100 周年を迎える北朝鮮の神話創造ではないだろうか。私には,これが何か『日本書紀』的暗合,これから起こる怖い事件の前兆のような気がしてしまうのである。