延宝期・芭蕉句

延宝 (1673–1681) 期までの芭蕉の初期俳句は,識者の間ではいまひとつ評価されない。初期芭蕉の作風は,談林俳諧の影響のもとに,古典の捩り,掛詞・縁語を多用する技巧と機智,伝統的テーマと滑稽な日常性との落差の面白みを志向した。この時期の句は深みに欠ける,というのが識者の大枠の評価ではないだろうか。いわゆる蕉風俳諧は,深川芭蕉庵に移住した天和 (1681–1683) あるいは貞享 (1684–1687) あたりの作品から花開いたとされ,芭蕉論で個別に取り上げられ鑑賞される不朽の名句が滾々と湧き出て来るようになる。私も,芭蕉をそんなに知るわけではないけれども,だいたいにおいてこうした一般と同じ意見であった。「夜ル竊ニ虫は月下の栗を穿ツ」(1861) あたりの句から狂気・凄みを覚える。

それでも,D. Smirnov による芭蕉ロシア語訳句集 Wikilivres Хайку Басё への注解のために,加藤楸邨『芭蕉全句』,岩波文庫『芭蕉俳句集』,新潮古典集成『芭蕉句集』,岩波日本古典文学大系『芭蕉文集』などで,芭蕉句をひとつひとつ読んでいると,初期の句もなかなか面白いと思うようになった。そういうもののなかからとくに選んで私なりに記しておきたい。句のあとの括弧内は,岩波文庫版『芭蕉句集』の句番号と成立年を示している。句の表記も岩波文庫に依った。

我も神のひさうやあふぐ梅の花 (57, 1676)

菅原道真『菅家文草』に収録された流謫詩を踏まえている。

離家三四月 家を離れて三四月
落涙百千行 落つる涙や百千行
萬事皆如夢 万事皆夢の如し
時々仰彼蒼 時々彼蒼を仰ぐ

道真にあっては流罪の境遇に彼蒼 (ひさう=碧空) を仰いだという述懐なのだが,芭蕉にあっては眺める対象は彼蒼ではなく,いまを盛りの梅の花である。梅花こそ大事に眺めたいひさう (秘蔵) のものだというひねりが俳句の中心にある。いにしえの失意の詩人の重い境遇を,梅花の賞揚で軽やかに詠みなしたところが俳味になっている。

命なりわづかの笠の下涼み (60, 1676)

西行の和歌「年たけてまた越ゆべしと思ひきや命なりけり佐夜の中山」を踏まえている。「命なりけり」と詠う西行の生の絶頂に思いを馳せながら,旅の笠のつくるわずかの陰に涼む軽やかさを対比する。そのさり気なさ,静けさに味がある。「我も神の...」句に似た古典的詩人の運命的厳粛と己の軽やかな日常の対比が魅力。

盃の下ゆく菊や朽木盆 (66, 1676)

重陽節には長寿を祈って盃に菊の花瓣を浮かべて酒をいただく。朽木盆は近江名産のお盆で菊の絵柄が表面に描かれているのが特徴だった。この句は,朽木盆の酒が溢れ,まるで菊花が酒の下を漂うようだと見立てた。

古来,日本人は,ふと桜や梅の花弁が落ちて酒の盃に浮かぶ,という趣向が好きである(すでに『日本書紀』に,盃に狂咲の桜の花瓣が落ちる美しいくだりがある。「三年の冬十一月の丙寅の朔辛未に,天皇,兩枝船を磐余市磯池に泛べたまふ。皇妃と各分ち乗りて遊宴びたまふ。膳臣余磯,酒獻る。時に櫻の花,御盞に落れり」岩波日本古典文学大系『日本書紀・卷十二』)。芭蕉の句はこれを逆転して酒の下に菊花が流れるという趣向にしたてた。

五月雨や龍燈揚る番太郎 (74, 1677)

龍燈 (りゅうとう) はここでは二つの意味をもっている。ひとつは現実的視界のなかで番太郎 (見張り小僧) がかざす灯であり,いまひとつは海に現れるという伝説的な怪火である。龍の燈というのがいかにも幻のような光の明滅を連想させて,怪しい魅力がある。梅雨時の長雨に塗り籠められてまるで海中にいるようだという誇張,ファンタスティックな幻影が私は好きである。「龍燈揚る」という番太郎の仕草の一瞬を捉えたところに,江戸の少年の物語性を感じてしまう。ディッケンズのオリバー・ツイストのようなたくましさも感じられるけれども,やはりいわゆる若衆・美少年を想像しているのであろう。

近江蚊屋汗やさゞ波夜の床 (75, 1677)

蚊帳は江戸春画の定番道具である。句は,近江名産の蚊帳の床にあって,暑苦しい夜に汗がどっと出て,それがまるでさざ波のようだ,という。他愛無い比喩なんだけど,近江・琵琶湖の湖面と,夏の夜の朧な蚊帳越しの好色な汗に溺れる様とを,二重映しにする。

梢よりあだに落けり蟬のから (76, 1677)

「から」に唐衣が掛けてある。謡曲『杜若』: 「こずゑに鳴くは蟬のからころもの袖白妙の...」を踏まえている。つまり,唐衣を纏って踊る杜若の精と蝉の殻とを重ね合わせた句になっていて,「杜若の精のように踊りもせずにいたずらに梢から落ちた」という心が「あだに」という詞姿になっている。梢から落ちる蝉の殻という日常生活の一瞬間に古典的幻影を結びつけたところに面白みがある。

あやめ生り軒の鰯のされかうべ (93, 1678)

句の表面をなぞっても句意はわからない。「あやめ生ひけり」と「されかうべ」の取り合わせで,謡曲『通小町』のモチーフが響いて来ないと感興が欠落してしまう。『通小町』に「秋風の吹くにつけてもあなめあなめ,をのとは言はじ薄生ひけりとあり...」とある。秋風が吹くにつけても私の眼窩を貫く薄が揺れる,それで目が痛い痛い,こんな姿の私を人は小野小町だとは思わず薄が生えるだけと言うだろう。かつての絶世の美女・小町も死して白骨化し,骸骨の眼窩に薄が生えている光景は無残である。

「鰯のされかうべ」とは,節分に魔除として軒に飾る柊挿しの鰯の頭が,時が過ぎ白骨化していることを表している。そのそばに端午の菖蒲花が咲いている。鰯のされこうべと小町のおどろな姿とが二重写しとなる一方でそれだけいよいよ菖蒲の可憐な姿が艶かしい。「あやめ」に『通小町』の台詞「あなめ」(目が痛い) がパロディー的に掛けてある。謡曲の「薄生ひけり」が芭蕉句で「あやめ生ひけり」に転生しているところ,ひねりが効いている。

木をきりて本口みるやけふの月 (96, 1678)

今宵の月は木を挽いた滑らかな切り口を見るようだという。他愛ない句にみえる。しかしながら,譬喩というものが未知なるものを既知なるもので印象把握することだとするならば,ここではこの関係が逆転している。月と断ち切った木の見事な断面との譬喩関係が逆転しているのである。この転移により,月を句の中心に据えながらも,木の断面の瑞々しい映像をも印象付けられる。

見渡せば詠むれば見れば須磨の秋 (98, 1678)

眺めるという意味の詞を三様に畳み掛けて,眺めれば眺めるほどに須磨の秋の深まりが感じ取られるというのだろう。「見渡せば花ももみぢもなかりけり浦の苫屋の秋の夕暮れ」という藤原定家の名歌があるが,句は,「眺めても眺めても眺めてもやっぱり何もない」という俳諧的誇張でもって古典的な空なる秋感を把握したのかも知れない。

雨の日や世間の秋を堺町 (100, 1678)

堺町は,江戸でもっとも繁華な町のひとつにして,歌舞伎小屋で有名になった界隈である。秋の雨が振り濡っている。こんな陰鬱な日でさえ,世間の沈んだ気分に逆らうように,堺町だけは別世界のように賑わっている。「堺」に「境」の意が掛けてあり,町がなにか見えない境界で雨の物憂い秋の世界から隔絶されているのか,そういう都市幻想がある。こういう句を読むと,芭蕉句の近代的な都市文学的側面を感じてしまう。

蒼海の波酒臭しけふの月 (105, 1679)

句は,宴会の丸い赤の酒盃を月に,それを洗う盃洗 (はいせん: 宴会で酒盃を洗う水を湛えた容器) を蒼暗い海に喩えている。ここから波が酒臭いという俳諧的滑稽が出て来る。暗い大海原の蒼と,幻のような月の赤。取り合わせがいたく印象的である。

この句の海と酒,赤い幻影という構図から,まったく関係ないのだけれど,私はポール・ヴァレリーの『失はれた美酒』を想起してしまう。

一と日われ海を旅して
(いづこの空の下なりけん,今は覚えず)
美酒少し海へ流しぬ
「虚無」にする供物の為に。
(堀口大學訳)

もちろん,芭蕉は己の風景のなかに「虚無」(néant) など認めてはいないだろう。大海原の彼方に見えるのは,ヴァレリーにあっては「いと深きものの姿」(Les figures les plus profondes) であるのに対し,芭蕉にあっては真っ赤な月である。当然と言えば当然の違い。それでも面白い。


 

芭蕉俳句集 (岩波文庫)
松尾芭蕉
中村俊定 校注
岩波書店