ルース・タトロー『バッハの暗号』

帰省中はまるで「痴」的な数日を過ごしたんだけど,往復の新幹線のなかで一冊だけ本を読んだ。ルース・タトロー著,森夏樹訳『バッハの暗号 — 数と創造の秘密』(青土社,2011 年刊)。

バッハが作品のなかで数のアルファベットを使用したことは知られている。数のアルファベットとは,アルファベットに数値を対応付けて言葉や音階の数値に意味を見出す様式である。『フーガの技法』のなかで B-A-C-H という自身の名を音階のシ・フラット—ラ—ド—シに読み込んだことは有名だけれども,音階や小節に結びついた数 3, 7, 12 などの象徴性について論じられることも多い。フリードリッヒ・スメントが 1947 年に発表した論文は,その後のバッハの数の象徴性についての権威的存在になっている。本書はこのスメントの論理を批判しつつ,バッハの数のアルファベットが 17, 18 世紀ドイツ詩の文化状況に基づいていたことを文献学的に論証するものである。

スメントがまったく疑念なくユダヤのカバラに数象徴を求めたのに対して,タトローは丹念に文献学的連接を追い,バッハの数のアルファベットの使用の源を探り当てている。本書の美点は,なにより,カバラとルター派神学(バッハは信仰厚いルター派プロテスタントであった)との相容れない神学的性質の解決を文献学的になしたところである。ドイツ・バロック期文学の一特徴の素描にもなっている。ただ残念なのは,遊び的要素の大きい「詩のパラグラム」にバッハのマナーの根源を求めるに際して,ではそれがいったいどのような音楽的あるいは文化的な思潮を意味しているのかという美学的問題論が,きちんと追究されていない。カバラの神秘主義的象徴はたしかにバッハに相応しくないのは理解できたけれども,パラグラムがバッハあるいは時代の美学的思想とどのような有機的意義をもって繋がっていたのか,という私にとって最大の関心ははぐらかされたような気がした。

本書にはゲマトリア(文字と数値との対応付けによる数の象徴化),ノタリコン(頭文字・末尾文字による暗号的意味の読み込み),テムラー(アナグラム),クロノグラム(言葉からローマ数字を抽出することで数値を導く方法)などが詳細に記述されている。このパラグラムを成り立たせる数のアルファベット表が付録に整理されている。本書のもうひとつの価値である。挙げられている例がとても面白い。

Johannes Baptista
Hic Elias secundus

このラテン語は「バプテスマのヨハネ // ここにいるのは第二のエリヤ」という意味。固有名詞を短い格言のようなものに結びつけるパラグラムの例である。二つの行は,数のアルファベット変換表に従って文字列の数値の総和を求めると,ともに 165 になるというもの。

テムラーの例として次のようなものがあげられている。ヘブライ語 מלאכי (私の天使) は語順を変えると מיכאל (ミカエル) と読まれる。ギリシア語の例では Ἰησοῦς (イエス) を読み変えて οὺ ἡ ὀίς (あなたは子羊) となる。

カバラでは神秘的啓示としての意味が追究されたのに対し,ドイツ・バロック期文学では,このような隠されたテクストの意味論は「言葉遊び」として盛んだったようである。暗号の面白さと同様,テクストの外的ルールが言語素材に豊かさをもたらす例でもある。この面白さは充分に理解できる。それでもやはり,バッハがどのような思想をこうしたパラグラムの音楽的表現に込めていたのかをもっと体系的に知りたいものである。