いやな夢

夢を見た。私は傷痍軍人の持つ白い箱に義援金のお札を挿し入れている。いや,お札ではなくて選挙の投票用紙だったかも知れない。曖昧だ。帝国陸軍の軍服に身を包んだその元兵隊さんは,右足,右腕がなく,顔じゅうに包帯を巻いていた。ただそれだけ。もっと何かを見たような気がするし,もう少し脈絡があったようにも思うけれども,ほかには何も覚えていない。夜中にそれで眼を醒ました。恐ろしい夢。いまこう書いても「どこが怖いのか」とお思いになるかも知れないが,その寝覚めは耳鳴りさえして,恐ろしくて,怖くて,堪らなかった。

五,六歳の頃,昭和四十年代前半だったと思う,大阪・国鉄天王寺駅前の街頭で傷痍軍人を見たことがある。その場に凍り付くくらい恐ろしかった。傷痍軍人と言っても,何のことかわからない人がいまはほとんどだろう。戦争で四肢を失い働くことができなくなった元日本軍兵士の街頭で物乞いする軍服姿は,昭和三十年代までは珍しくなかったようである。私の幼い頃もまだ辛うじていたんである。私の見た傷痍軍人は,白い募金箱を抱え,ハーモニカを吹いていた。目の前にあるものがいったい何なのか,何故こんなことが起こるのか,何故に周りの大人たちがそれを普通のこととして何の気も留めないでおれるのか,まったく理解できない — そういう恐ろしいことが,当時は世の中に満ち満ちていたように思う。いや,今も満ち満ちているが気付かなくなってしまっただけかも知れない。

寝覚めのあとしばらく,この恐ろしい記憶に苛まれた。私はもちろん戦後世代であるが,傷痍軍人という形で戦争の恐怖の記憶を持つ最後の世代といえるのも知れない。そんなことを寝床で考えた。あれを目にし恐怖に駆られた者が,仮にも戦争を肯定ないし賛美できるとは,私にはとても思われないのである。靖國神社で何かの集団が帝国軍人の格好でお詣りしているのを目にする。私は彼らが白い箱を抱えていないのにほっとするのである。ああ平和な時代のコスプレなんだと。