小林可夢偉,モナコで5位!

29 日に決勝が繰り広げられた伝統の F1 モナコグランプリで,小林可夢偉が 5 位入賞を果たした。私はフジテレビの中継録画で観ていた。観戦の途中,Yahoo! ニュースで結果を見てしまい,ちょっと白けた感じもしましたが,この結果は本当に凄い。昨夜はマジ,興奮した。前日に観たバルセロナとマンチェスター・ユナイテッドの欧州チャンピオンズリーグ決勝戦も凄かった。でも,われわれ日本人にとっては「小林可夢偉・モナコ 5 位入賞」はそれ以上に忘れられない快挙だと思う。野球の結果なんかに気を揉んでいるガラパゴス化日本人には想像できないくらい,F1 グランプリは,サッカーと並んで,スポーツの世界的関心の中心にあるんである。そこで 5 位という成績なのだ。

私は中学生の頃からモーター・スポーツが好きで,Autosports などの雑誌を毎月買ってチェックしていたくらいである(なのに,車の免許すらもっていない)。ジャッキー・スチュアート,エマーソン・フィティパルディの時代から F1 に注目して来た。その当時,日本人ドライバーが F1 グランプリ・サーカスに参戦するなんて夢のまた夢だった。1976 年に富士スピードウェイではじめて日本グランプリが開催されたときは,テレビに齧り付いて,チャンピオンになるのはフェラーリのニキ・ラウダか,マクラーレンのジェームズ・ハントか,と固唾を呑んで観ていたのである。ところが,この初の日本グランプリ,第一コーナでクラッシュがあり不幸にも観客が死ぬという大惨事になって,やっぱりレースは危険だという当たり前の世論が支配的になり,その後 F1 日本グランプリが長らく開催されない事態になった。そんな不景気を私は忸怩として眺めて来たのである。ホンダが F1 コンストラクタとして復帰し,アイルトン・セナのマクラーレンで常勝街道を突っ走るようになったときは感無量だった。サッカー日本代表が W 杯に出場を決めたのとまさに同じインパクトがあった。

その後,日本人 F1 ドライバーも何人か登場してそれなりに活躍したわけだけれども,今回,弱小チーム・ザウバーの車で,しかもテクニカルコースの筆頭であるあのモナコで 5 位入賞というのは,それこそ日本人ドライバー時代の真の幕開けといってよい。小林可夢偉はまだ 24 歳である。サッカー日本代表の香川選手,本田選手,長友選手をはじめ,最近の若い,とくに 24, 5 あたりの世代の日本人は,端倪すべからざる可能性を秘めていて頼もしい。われわれのような 40 代後半より上の「ダメ世代」とは一線を画している。世のバカどもがさんざん貶しまくっている「ゆとり世代」に栄えあれ!
 

2011.10.17 付記:

上で「この初の日本グランプリ,第一コーナでクラッシュがあり不幸にも観客が死ぬという大惨事になって」と書いたが,これは私の勘違い。この事故が起こったのは,1976 年ではなく,1977 年の日本グランプリであった。フェラーリを駆るジル・ヴィルヌーヴが他のマシンに接触して飛び上がり,第一コーナーの観客席に着地してしまったのだった。ヴィルヌーヴは,その無謀さで私の好きなドライバーだったが,第一コーナーでの無謀な競り合いゆえのこの事故のために書類送検されてしまった。彼は不幸にも五年後,1982 年レース中の事故でこの世を去った。