西山宗因の俳句・ロシア詩人の俳句露訳 - русский перевод хайку Басё В. Брюсова

D. Smirnov の芭蕉俳句ロシア語訳を手伝うなかで,しばしば,英訳もしくは露訳の原文特定を依頼される。その翻訳が結構昔のものであるだけでなく,俳人の幅も広いことに驚かされることがある。先日,「三日月のころより待ちし今宵かな」の英・露訳以外にも,次のような翻訳を知らされた。

"'Tis the cuckoo -
Listen well !
How much soever gods ye be."
        (© W. G. Aston, 1899)
«Это кукушка, -
Хорошенько внимайте,
Какъ бы ни много васъ было чертей.»
        (© В. Мендрин, 1904)

この英・露翻訳のオリジナルは西山宗因の句「ほととぎすいかに鬼神も慥にきけ」でおそらく間違いない。翻訳の年代が 19 世紀末〜20 世紀初頭であり(露訳は革命前の旧正書法である!),当時の英国,ロシアでは談林俳諧の創始者・西山宗因までが紹介されていたのかとびっくりしてしまった。さらに驚いたことに,日本でもプロコフィエフやラフマニノフの歌曲で知られるロシア象徴派の泰斗コンスタンチン・バリモントまでがこの詩を翻訳していたらしい。

Haiku は現在,欧米でも確固たるジャンルとして定着しているが,東洋文学の専門家に限らず 100 年以上の受容の歴史があるわけである。D. Smirnov の説明によれば,そうはいってもこの句は宗因というよりもほとんど芭蕉句として受入れられていたようだし,翻訳も英訳からの重訳のようである。D. Smirnov は Wikilievres でこの句の自身による翻訳を掲載した。

20 世紀初頭,フランスでは印象派による浮世絵の「発見」で一大ジャポニスム・ブームが訪れた一方,ロシアや英国では日本詩の文学的影響がより強かったようである。英国ではエズラ・パウンド,イェーツの名が日本文学通として知られているが,ロシアでも象徴派の巨匠ヴァレーリイ・ブリューソフが 1913 年に芭蕉句や古典和歌を翻訳しているし,イーゴリ・ストラヴィンスキイは A. ブラント露訳の短歌に基づいて 1912-1913 年に室内歌曲『日本の三つの抒情詩』を作曲している。ちなみに,歌曲に記された詩人の名が Mazatsumi だとか,Tsaraiuki だとかで,歌の作者が我々日本人にも見当がつかないのが笑える。昔,台湾の海賊版カセットテープに「五木ひろれ集」というのがあった。それに似たような現象だと思う。

ヴァレーリイ・ブリューソフによる芭蕉句「古池や…」の翻訳を,私の逐語訳付で紹介しておく。私の書架にある В. Я. Брюсов - Собрание сочинений. В 7-ми томах., т. 2., М.: «Художественная литература», 1973 から。

О, дремотный пруд!
Прыгают лягушки вглубь,
Слышен всплеск воды...
        (© В. Я. Брюсов, 1913)
まどろむ池よ
蛙その深みに飛び込む
聞こえるは水のはね返り
20110404-1-brjusov-book.png
В. Я. Брюсов - Собрание сочинений. В 7-ми томах., т. 2., М.: «Художественная литература», 1973, с. 334-335.

5-7-5 と音節数をきちんと合わせた露訳になっている。強弱詩格 (Хорей) のきびきびした韻律を用いているところ,ブリューソフらしいと私は思う。古池を「まどろむ,眠ったような дремотный」と形容するところが死のイメージ,世紀末の澱みを感じさせる。

蛙が複数形で描かれていて,非常に興味深い。芭蕉句には,静かな世界を一瞬打ち破る水音で,ハッとなにかに覚醒してしまった恐ろしい味があるけれども(こう感ずるのは私だけではないはずだ),このブリューソフ訳では,澱んだ世界を乱す跳ね音で生命が深みに落ちて行くという,頽廃的な美が強調されている。静寂を「乱す」ことに力点をおく限り,一匹よりも多くの蛙がいるほうが効果的である。

私ははじめてこの翻訳を読んだとき,あのひっそりとした古池の風景があたかもカーニヴァルの頽廃に変貌するような感覚を味わったものである。芭蕉は蛙の数を限定しているわけではないので,これもひとつの解釈ではある。こういう比較文学的観点で,もう少し広く論考を読んでみたくなった。ちょっと新しい面白いテーマになりそうである。

最後に,ストラヴィンスキイ作曲『日本の三つの抒情詩 Три японских стихотворения, 1912-1913』を収録した CD を上げておく。フィリス・ブリン=ジュルソンのソプラノ,ピエール・ブレーズ指揮,アンサンブル・アンテルコンタンポランによる素晴らしい録音である。歌詞はロシア語である。この曲はシェーンベルク『月に憑かれたピエロ』,ラヴェル『マラルメの詩による三つの歌曲』と並んで声と室内楽による 20 世紀音楽の傑作とされている。

20110404-2-brjusov-stravinsky.png
ブリューソフ著作集巻2扉,1973年,モスクワ/ストラヴィンスキー歌曲集
Stravinsky: Songs
P. Boulez, Ph. Bryn-Julson,
L’Ensemble intercontemporain, et ali.
Polygram Records (1992-01-16)