東北地方太平洋沖地震

3.11 15 時少し前に発生した大地震で,一夜明けた今日,死者はすでに 1000 人を越えたという。マグニチュード 8.8 なんて数字は見たことがない。都市直下型の阪神・淡路大震災では 6 千人以上の死者が出たが,今回は津波のカタストロフィーが凄まじい。三陸海岸沿いや福島県海岸地帯の恐ろしい光景を報道で見た。

私は赤坂・溜池の会社事務所内で出くわした。揺れはじめて息を止めてもう収まるかなと思いきや,どんどん激しくなって部下の机上のファイルが床に落ちはじめた。おおおおおおおお,マジかよー。こんな激しい揺れははじめて経験した。窓から JT ビル方面を眺めると,日本財団ビルの避雷針が大きく揺れていた。地上 160 ウンメートルの JT ビル高層にいる人たちはパニクってんだろうなーと可哀相になった。向かいのビルでは棚を押さえ付けている男,テーブルの花瓶を抱きかかえている女が見えた。「机の下に入れ!」。私の会社では普段から安全衛生のチェックが厳しく,キャビネットや書類棚の上にモノを置かせないなどの施策が徹底していたおかげで,物が倒れたり落下して社員がケガをするということはなかった。災害時の非常階段から社員を屋外に出して,しばらく様子見。携帯に社のシステムから安否確認のメールが届いていた。隣のビルでは窓ガラスが割れて歩道に飛び散っていた。ビル前の外堀通りは中央分離帯に人が密集して異様な雰囲気だった。部下の無事を確認。問題なし。

出張中の子分ども,家族に携帯電話を掛けまくるが,まったく通じず。携帯メールを発信し,返信を待つことに。こういう災害の時,携帯電話がまったく役に立たないことを改めて認識した(これまでも何度も思い知らされている)。そして,米国国防省が開発したインターネットの凄さを。なにせ,湾岸戦争やイラクのドンパチ地帯でも E メールは使えたというのだから驚く。地震災害状況の報知でも Twitter が大いに活用されはじめていると耳にした。電話も IP 電話なら一発で繋がった。私の自宅は Au ひかり one の IP 電話だが,会社の PC IP-Phone からは 100 発 100 中で繋がった —「ただいま留守にしております...」。自宅の Web サーバにアクセスしてみるときちんと見える。自宅はそれほど被害を受けてはなさそうだとわかった。そのうち家族や部下から無事とのメールが入り,ほっとした。しかし,妻の北上の実家だけはどうしてもなにもわからない。Au 災害伝言サービス云々のアナウンスが携帯からなされるけれども,岩手県は対象外のようである。まったくここぞというときに使えねぇ。

鉄道はすべてストップ。16 時過ぎ,会社本部から避難勧告が出た。帰宅してよろしいということである。帰宅できる者を上がらせた。余震にまたかと馴れはじめた担当者には,揺れのなかで会議をはじめるものもいた。電車も止っているし呑みいこうというやつもいた。なんかイヤな予感がしたが,大きな問題にはいたらなかった。

18 時,私は意を決して歩いて帰ることにした。赤坂から川崎の自宅まで,およそ 25 km。外堀通りから桜田通り,すなわち国道 1 号線に出て,これをひたすら南下すれば多摩川大橋に出る。夜中にタクシーで高速をぶっ飛ばしても 30 分以上かかる距離である。 東京はさほど被害は出ていないようだった(あとで九段会館の惨事を知った)。歩道は歩いて帰宅する会社員で溢れ返っていた。お洒落なコートを着た女性会社員が会社支給のヘルメットと非常用品袋を身につけているのを目にした。ハイヒールは長距離の歩行には不憫だった。女性社員はこういうときのために会社に運動靴を常備しておくのがよい。麻布で東京タワーを久々に目前に見上げた。月齢 6 の気清かな上弦の月。戸越銀座でコロッケを買い食いした。多摩川大橋を渡りいよいよ川崎市に突入する頃はもう脚,腰が痛くて堪らなかった。それが腹にも来てウンコもしたくなって来た... うちの息子は小学生の頃,大便をガマンして帰宅する際,歩を進めるたびに「ウンコ,ウンコ,ウンコ,...」と唸って,それが家のなかからも聞こえたと妻が言っていた。それを思い出し,私も「ウンコ,ウンコ」と人には聞こえないように唸りながら帰宅した。5 時間歩いたー。

妻は,私よりも遥かに遠く,神保町から歩いて帰って来た。国道 15 号をひたすら川崎を目指して歩いて,川崎競馬場,川崎の一大ソープ街を右に折れ,見馴れたバス通りに出た時はほっとしたらしい。昔の東海道を行脚したわけだ。なんと 8 時間も歩いて,家に辿り着いたときには機嫌が悪くてしかたなかった。娘は宿河原にある学校から少し歩いてバスに乗り,遅々として進まぬのにイヤ気を覚えて,武蔵小杉から徒歩に切替えたらしい。いちばんラクな方法を考えたという。息子は広島でテニス合宿。今回の震災からは遠いところにいた。