岩波新日本古典文学大系『芭蕉七部集』ほか

古書で蕉門俳諧連句集『芭蕉七部集』を手に入れた。国語の教科書の古典テクストはほぼ例外なく岩波書店の古典文学大系本に基づいており,私も学生時代からこのシリーズを日本古典の定本のように拝んで来た。『芭蕉七部集』は新シリーズ(いわゆる青系本)の一冊。

嵐山光三郎『悪党芭蕉』,堀切実『表現としての俳諧』などの本を読んで,芭蕉句の遺産の奥深さと同時に,歌仙の魅力を痛切なまでに教えられるところとなった。歌仙はまさに文藝におけるチームプレイ。最近は廃れてしまっているが,ある意味で,俳句よりもずっと面白いのである。堀切実のことばを借りれば,「無秩序の中の秩序」,「秩序の中の無秩序」,「モンタージュ性」こそが連句の魅力である。複数の詩人の協同による,作品の時空間の変化と独特の秩序は,むしろ現代芸術に通じると堀切は述べていた。安東次男の『完本 風狂始末 — 芭蕉連句評釈』と合わせて,この『芭蕉七部集』を少しずつ時間をかけて読みたい。

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会社で娘から携帯メールを受信した。娘はちょうど入学試験期間のため高校が休みで,宿題として出たレポートのためにインターネットで沖縄のことを調べていた。Web ページを印刷しようとしたけど,紙がないというプリンタ・エラーメッセージが出た。そこで「どうしたらいいの?」と質問して来たのである。プリンタのカセットの紙が切れたようであった。「お前,教えてクンか! お父さんは忙しいんだよ。マック机横の雑誌ボックスにプリンタの説明書があるから,それを読んで自分で紙を補給しろ!」と返してやった。何分かしたら「できた! ありがと!」と返信があった。

言われたら自分で調べて対処するところ,娘はネットの教えてクンよりもまともである。機械に弱くてかえって可愛がられる女性がいるが,私はそういうのが大嫌いである。ソフトウェアのユーザ掲示板などで「自分で説明書を調べろ」と諭されて,「じゃあなんのためにこの掲示板があるのか?」と逆ギレする教えてクンをときおり見かける。だから皮肉なパワーユーザからからかわれるんである。