娘がこれ面白いらしいよというので,有川浩『阪急電車』を Amazon から取り寄せた。まず,娘に与えたら面白くてすぐ読んでしまったという。引き続き私も読んだ。
朱川湊の『かたみ歌』は,『アカシア商店街』という架空の旧き良きコミュニティを巡って,そこに暮らす人々のいじらしい交歓を描いて感動的だった。有川浩の本作品も,阪急電車という地域住民の共通の日常空間を舞台に設定したところ,『かたみ歌』に近似した趣向を感じた。突出した才能のないまったく一般の人々だけが登場する日常的風景に人間の数奇な関り合いを滲み出させるところ,人生の爽快感が得られ,とてもハッピーな気持ちにさせてくれる作品である。この点では,この前観た映画『運命じゃない人』に近い味わいがあった。
私は大阪生まれではあるが,住吉区,河内・松原市で育ったため,阪急電車は数えるくらいしか利用したことがない。それでも,あの葡萄茶色の古風な車両は一種独特の時代錯誤でこういう小説のような次元スリップを幻想させてくれるところがある — それはよくわかるのである。高校時代の英語の恩師が,この作品に出て来る阪急今津線沿線にある関西学院大学出身だったこともあり,いっしょに関学キャンパス(「関学」というのが関西学院大学の愛称だった)をぶらぶら歩いたことがある。当時,関学はアメリカン・フットボールにおいて京大としのぎを削る関西のメッカであった。野球,サッカー,ラグビーじゃなくアメフト。こういう点こそ,当時の私にはハイカラに見えたのである。そのときの印象で,阪急電車は大阪では珍しい学園都市風のハイカラな空間を走っている(やはり神戸を擁する兵庫県は,大阪とは全然違うのである)というイメージが私のなかに出来上がっている。阪神電鉄よりも六甲山岳部よりを走る阪急沿線は,宝塚あり,夙川あり,仁川あり,と西宮市のハイソな山の手地域を抱えている。一歩離れると尼崎のドヤ街などの都市空間の吹きだまりにも面していて,これは横浜,大倉山,日吉,田園調布,多摩川園,自由が丘,代官山,渋谷を通過するハイソな東急東横線からホンの少し南下すると,わが川崎市幸区・川崎区の工場・ビンボーアパート・風俗・歓楽地帯が広がるのと似たようなものである。
鉄道は地域住民の人情・風情がこびり付いているものである。この『阪急電車』を読んで,慎ましやかでちょっとハイソな人々の heart-warming な好篇をいただいたわけだが,誰かが南武線か鶴見線を舞台にして川崎の人々を活写してくれないものか,という思いも募って来たのである。