リア充

歳をとればとるほど世の中がわからなくなって行く。最近それが心に痛い。

独身女性『彼氏いない』7割=半数が3年以上交際なし—電通総研』という記事を読んだ。「恋愛に消極的な『草食系』を自覚する男女が6割を占める中,互いに相手の誘いを待つ受け身の人が多いことも原因と分析している。[ ... ] 結婚の条件(複数回答)では『信頼できる』(68。0%),『価値観が近い』(64。1%),『安心できる』(61。4%)が上位を占めた。一方,かつて『3高』としてもてはやされた『高年収』(15。1%),『高身長』(11。1%),『高学歴』(4。8%)は,いずれも下位に沈んだ」— だそうである。

いいことじゃないですか。私の世代よりいまの若者のほうが確実に精神性が高い。慎み深い。「三高」(カネ,カラダ,コーマン)よりも「人間性」への指向が垣間見えて。そうはいってもやはり,テレビドラマ『ブザービート』に出て来たような草食男子・草食女子が多いというのはホント驚く。育ちが良すぎないか。これらの子弟をお育てになった親御さんのお上品な躾けの賜物だろう。草食系女子大好き。腐女子も大好き。AKB48も大好き。うちのガキどもは,困ったことに,下品な親の影響なのか,どうも下品な肉食系である。そう,私は世の草食系人間を食って生きて行けと教えているんである。冗談である。

でも,なんかおかしい。「三高」も芸がないけど,「信頼できる」? 「価値観が近い」? なんでこんなに優等生なんだろうか。はっきり言って,怖い。どちらかというと,「三高」なんかは条件に上げるにも愚かしい「当たり前の前提」であって,しかもこの理想がほぼ幻想に過ぎないことにどうにもガマンならずに不満のうちにいろいろ理由を付けて孤独を引きずっている,というのではないか。さらに,「信頼できる」,「価値観が近い」というのもどうも何を意味しているかも覚束ない,と自分でじつはわかっているのではないか。「現実」を前にして「こんなんじゃない」とつぶやいている若者たちの姿を —「現実」と「理想」との間で逡巡するばかりで前に進めない姿を,私はこの記事から想像してしまうのである。これこそがこの記事の意味するところなのではないか。もちろん,これは私の勝手な想像。

それにしても,「23〜49歳の独身女性」の 7 割,そしてそのうちの半数が 3 年以上男性と交際がない,なんてにわかには信じられない。質問の仕方を間違えていないか? 彼女たちは何によって満たされているんでしょうか。仕事? 勉強? 趣味? クラブ活動? まさかペットだってか? それもよいだろう。でも,エッチ抜きだとしたら可哀相のひとことしかない。エロビデオを観てひとりエッチするから別に困らない,ということなら,ホント末期的に思われる。いくらなんでも,そんなことないでしょう。

最近「リア充」というコトバが流行っている。リアルの生活における充実。ところで「リア充」って,これ,どういうことなんだろうか。「リアルが充実」の「リアル」って何だ? 金に不自由しないということでなければ,「エッチでも満たされている」としか聞こえない私は,ただの腐男子でしかないのか(私は極めてまっとうなサラリーマン,社会人を自認しているのだが)。「リア充」の流行は,つまり「エッチ」のない若者が多いということを示す,と私は解釈する。そして,これは上記の記事で指摘されている「草食系」の増殖とも相関する。最近の若い人たちはホント真面目で,皮肉抜きに可哀相,ということになる。これは違うのだろうか。もし違うとしたら,「現実」に対する表象においてまったく意思疎通ができない(若者の言う「リアル」と私の認識する「現実」とはまったく異なる)ということになりそうである。

私は「リア充」しているか。否。会社の仕事は苦渋に満ちている。一方,余暇は空想的小説本を読んだり,レコードを聴いたり,エロ映画を観たり,世の Web サイトを覗いてバカ・ブログを書き散らしたり,誰の役にも立たないプログラムを書いたり,…… ま,そんなアホみたいな楽しみに血道をあげるばかりである。仕事と家族の日常を除けば,実社会とのコンタクトの実に薄い毎日である。むしろリアルならぬヴァーチャルな世界にどっぷり浸かっているともいえる。私はリアルよりもヴァーチャルのほうがどうも好きのようである。だから何? 私は「リア充」の,充実しているべきというリアルの価値がさっぱりわからない。むしろリアルとヴァーチャルとをよく見比べて,そこから何が見えて来るか,ということにこそ人生の意味を感じている。