三島自決 40 年

今日 11 月 25 日の朝日新聞夕刊社会面に「三島さんを恨んではいなかった」という記事が載っていた。三島由紀夫が陸自市ヶ谷駐屯地で割腹自殺してから,今日で 40 年。ということで,そのとき人質になった総監のご子息が胸中を語ったというものである。「恨んではいなかった」というのは,父が三島率いる盾の会によって人質にされた上,この事件の責任を問われた(駐屯地でこんな事件が起こるなんざ軍隊としては恥晒しともいえるわけで,この総監がクビになったのは当然)ことに関係している。

三島由紀夫はなによりも我が日本文学史上の輝ける才能である。いまも戦後の日本文学者の名を挙げようとすれば,谷崎,川端,三島,開高,大江,安部,… と真っ先に出て来る作家である。こう考えるにつけても,1930 年代よりあとに生まれた世代のだらしなさといったらない。俺は高校生のころ『仮面の告白』,『金閣寺』を読んで一時は三島の虜になってしまった。

しかしながら一方で,俺の妻は,『憂国』において,自決を決意した主人公の,決行前夜の妻とのセックス描写を読んで,「謙虚な腹」という表現に,失笑すべきエロティシズムの印象しか覚えなかったらしい。どうも妻と俺とは文学の趣味が合わないが,この意見はもっともなところがある。俺からしてみてもお笑いである。「謙虚な腹」— こんなのに厳粛なエロスを感じているインテリが実際にいるのもお笑いである。三島由紀夫の美学には,少し斜めから見ると笑いを催すものがある。

「自決前夜の謙虚なエロ」みたいな身の毛のよだつシロモノと同じく,三島の割腹自殺事件に現れた,彼のプライベートというか政治信条には,ただの「世間知らずのお坊ちゃん」的独善に囚われた人物像しか,俺は思い描くことができない。彼の文学的成果とはなんの関係もない「事故」としか思われない。ある人にとっては高潔・厳粛なエロスとされる「謙虚な腹」に対するものと,まったく同じ失笑を催させられるのである。

この割腹自殺ゆえ右翼にとって三島は神になった。人間の厳粛な死への哀悼を抱きつつ,一方で,俺は三島の行為そのものをむしろ滑稽なものと捉えている。自決を前にぶった三島の演説に,「なにワケのわからんことを言ってるんだ」と笑いながらヤジを飛ばす自衛官がいたのを,俺はニュース映像で知っている。これこそ,地を這う生活を強いられた社会人 — バスの運転手,鉄道の線路の点検技師,八百屋の店員,公園の清掃員,田植えをする農夫,一日の取引額で一円の差異も許されない銀行員,行商の薬販売員,などなど,政治信条だとか哲学だとか思想だとか藝術だとかの以前に,生きることの抜き差しならないファンダメンタルと向き合わざるを得ない生活人 — のものの見方というものである。俺はこの自衛官にこそ共感を覚える。

当時,三島の盾の会を皮肉に茶化したオカモト・コンドームのテレビコマーシャルがあった。三島由紀夫の楯の会と同じ制服を着た男たちが叫ぶ —「立て,立て,立て,立て,タテの会。使用感などさらになし」。「使用感などさらになし」というのは,盾の会の主張する「使命感」をアイロニカルに捩っているわけなんである。大笑いなんである。地を這う生活人が彼の行動を自分の生活感の立場から,軽やかに,諧謔的に眺めたとき,このオカモト・コンドームの笑いへの指向は,十分に頷けるものがある。頭もよく金もあり地位もある人が,どうしようもなく常識に反する行動をとっていると,ことさら下品なものごとにことよせて笑いのめしたくなる心情は,十分に頷けるものがある。それにしても,こういう一見ふざけたコマーシャルがテレビというメディアで成り立った時代の日本という国は,清潔漢がなんのウラもなさ気に偉そうにしているだけのいまの国情とはまったく異なり,本当に凄かったとつくづく感心する。戦後の復興を成し遂げたバイタリティを感じさせられる(壮絶な下品も横行していたわけだが)。

朝日の記事は次のように結ばれていた:「最近の官房長官の『暴力装置発言』には絶句したが,『軍事集団が大手を振って歩く時代』は来てほしくないと願う」。『軍事集団が大手を振って歩く時代』を率先して囃し立てたのはどこの誰か,この記者は知っているのやら,知らんぷりを決め込んでいるのやら。こういう姿をみるにつけ,朝日新聞というマスメディアは戦前・戦後の日本の偽善の縮図である,という思いを強くする。ま,こんなことは三島由紀夫とは関係ない。少なくとも,三島由紀夫は日和見のケチな偽善者ではなかった。上記のごとく三島の割腹自殺をこき下ろす俺も,三島由紀夫の文学遺産はやっぱり心の中に生きているんである。